from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

自己責任

斉藤貴男著「安心のファシズム―支配されたがる人びと (岩波新書)」を読み始めた。
『単なる不公正を、「自己責任」の名の下に正当化し、ということはもともと富める者、社会生活を営む上であらかじめ有利な条件にある者にとってばかり都合のよい一連の政策が、現在の日本では「構造改革」と呼ばれ』ているとある。「障害者自立支援法案」もその一環だと思えば、分かりやすい。
『他者を「論破」することこそ至上の目的としているため、他者の「言い方」のみに着目し、なぜ他者がそのような言動を取るようになったのかといった意味での他者の「心情」になどまるで頓着しない、どうやらそういう世代が社会の多数派となりつつあり、ネットの隆盛とは、そのことの表れではないのか、そう思えるのである』という荷宮和子さんという人の文章が紹介されていた。これは先日実感した。そういう人たちが社会の多数派だとはまだ思わない(実感では1割程度だが影響力は大)が、そうなったら、世知辛い世の中になる。こういうインターネットの負の部分に注目しないで、梅田さんが『日本もそろそろインターネットの「開放性」を否定するのではなく前提とし、「巨大な混沌」における「善」の部分、「清」の部分、可能性を直視する時期に来ているのではないか』というように、そうしたいもんだけれどね。