from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

違う文脈

宮台真司「仕事での自己実現」と「消費での自己実現」しかないという思い込みをやめよ』から。

社会が成熟化すると、「仕事での自己実現」か「消費での自己実現」以外の生き方が存在しない社会システムを、実りがないと感じて退却する者たちも出てきます。全てがつまらないという感受性が拡がり、社会に抑鬱的気分が蔓延することになります。それが今直面している状況です。
かつては熟練仕事や非流動的人間関係が「仕事での自己実現」を可能にしました。仕事の後に花札や賭け事で盛り上がれる近隣社会や、貧しくても楽しい我が家がありました。今では、「仕事外での非消費主義的な自己実現」を可能にした非流動的な生活世界──地域や家族──は空洞化しています。それに気づいて農業に回帰する人や沖縄に移住する人も出て来ました。でもそれが可能なのは極く少数です。「座席が限られている」からです。

大抵の地域や家族は帰依するものじゃなくなったということかな。「座席が限られている」場所でもまだ座席は余っていると思うが、そこに行く勇気がない、気力がない。不満はあっても明日が見えるように思える場所に留まっていたいということでしょ。

ではどうすればいいか。「仕事での自己実現」からも「消費での自己実現」からも降りて、「仕事外での非消費主義的な自己実現」を目指すことです。昨今の「勝ち組・負け組」という言葉が象徴するのは、自己実現が「仕事での自己実現」か「消費での自己実現」しかあり得ないという思い込みです。まず、この思い込みを解除することが必要です。
でも、それだけじゃ足りない。「仕事外での非消費主義的な自己実現」を可能にするのは、「役割とマニュアル」ならぬ「善意と自発性」が原理となる生活世界でのコミュニケーションや関係性です。そういう生活世界が現に存在しないとどうにもなりません。先の言い方では「座席を増やす」ことが必要なのです。

自己実現できない仕事をやっている間はどうなの。「仕事外での非消費主義的な自己実現」を夢見ながら、手を動かしていろということかな。それが耐えきれない者は行き場がなくなるってことだね。
内田樹さんは、

もう一度破壊された「中間的共同体」を再構築すること。
「喜び」は分かち合うことによって倍加し、「痛み」は分かち合うことによって癒される。
そういう素朴な人間的知見を、もう一度「常識」に再登録すること。

だと。同じ形では再構築できないね。どういう形があり得るのかな。