from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

違う文脈

内田樹の研究室」に、

メディアの仕事は、「情報の発信」ではなく、怠惰な読者が回避したがるこの「文脈の形成」という作業を代理することである。
ある出来事を報じるときに、それとまったく違う時代に違う場所で起きた別の出来事を「並べる」ことによって、その出来事の解釈は一変する。
出来事の報道そのものを改変する必要はない。
それを「どこに」置くか、何の「隣に」置くかで、解釈の幅や方向はまったく別のものとなる。
複数のメディアが併存しているのは、同一の出来事を報道する「違う文脈」が必要だからである。
同一の出来事の報道を「どの文脈」で読むともっとも「意味」として厚みや深みがあるのかを私たちが検証し、吟味できること、それがメディアが私たちの社会に存在することの意義である。

とあった。納得。インターネットを介して色々なメディアの報道が簡単に読めるようになり、同一の出来事が「違う文脈」で提示されていることをすごく実感できるようになった。テレビでも比較できなくはないが、報道番組が同じ時間で放送されていると難しいし、複数の報道番組が見られたとしてもすぐに流れてしまい、じっくり考えることができない。
しかし、「違う文脈」で語られていることを簡単にみることができるようになったというのに、内田さんが『現実には多くのネット情報受信者は、「文脈形成」という面倒な作業をニグレクトして、できあいのチープでシンプルな「物語」に、断片的情報を詰め込んで「情報処理」を済ませている』と言っているように、一メディアが伝えていることを鵜呑みにして語っている人が多いようだ。宗教と同じで、1つの紙(神)を信じて、それが語る世界に浸っている方が楽に生きられるということかも知れない。あと大抵の人がチープでシンプルな「物語」が好きだこともあるのかな。
毎日新聞には、

米国などで新たな言論の場として広がりつつある双方向性ウェブサイト「ブログ」は、限定的な政治的影響力を持ちつつあるが、政治家や報道機関からの情報に追従する場合も多い−−との報告書を16日、米民間調査機関が公表した。

とあった。