7時頃に起きた。
朝ごはんを用意し、8時15分過ぎに息子を起こした。
息子は9時前にサッカーの練習に行った。
妻は息子の皮膚炎の薬をもらいに皮膚科に行った。
11時過ぎに走りに出た。気温は低かったが、走り出すと寒くはなかった。最初キロ7分程度のゆっくりペースだったので、最後までほとんどバテずに10km走り終えた。「1時間8分」だった。
帰宅すると、妻がお昼の用意をしていた。
息子がなかなか帰ってこないので、先にお昼。
1時半過ぎにようやく息子が帰ってきた。お昼を食べていると、電話がかかってきた。息子が友だちのクリスマス会に行く予定だったが、もうみんな集まっているよと。息子が時間を間違えていたようだった。食べ終わると走って出て行った。
昼寝をしてから、図書館へ。
5時半過ぎに息子が帰ってきた。
6時過ぎから夕飯。
9時半過ぎに寝に行ったが、10時過ぎに見に行くと、まだ寝ていなかった。
橋下徹氏が率いる「大阪維新の会」が、大阪W選挙で勝利をおさめた。私は、橋下氏が提示する政策や政治手法に問題があると思っている。大阪維新の会が訴える「大阪都構想」にも「教育基本条例」にも反対だ。
しかし、私が真に追求したい問題は、橋下氏個人に還元されない。橋下氏や大阪維新の会そのものよりも、彼らの存在を待望する社会のあり方にこそメスを入れるべきだと思っている。
大阪W選挙での大阪維新の会の勝利は、二つの社会的心性に依拠していると私は考えている。その二つとは何か。
一つ目は「リア充」批判。
自分たちより恵まれた立場の人たちを引きずり下ろすことに溜飲を下げ、その実現に執着心を集めるあり方は、まさに橋下氏の提示する政策と合致する。
橋下氏の「大阪都構想」は、大阪市役所の職員をターゲットとする「引き下げデモクラシー」である。「大阪市職員は恵まれている」「楽をしている」という一方的な印象操作を行い、彼らに既得権益というレッテルを貼り付ける。そして、彼らを引きずり下ろす姿を可視化し、大衆の欲望を満たす。
「教育基本条例」の骨子も、公立学校で働く教員の免責に焦点が当てられている。もちろん不適切な教員は、存在するだろう。あまりにも問題がある教員には、教育現場から離れてもらう必要があると私も思う。しかし、問題の本質は身近なところにいる「安定した職業の人間」「法的に身分が守られている人間」への「嫉妬」や「やっかみ」にある。自己の抱えるイライラを、「ちょっと得をしている」と思える人間に対する攻撃へと転化するあり方は、橋下主義=ハシズムを加速させる。
二つ目は「リセット願望」。
リーマン・ショック以降、経済は回復せず、社会は不安定化するばかりである。民主党の政権交代に期待したものの、大きな成果を上げることができなかった。もし、景気が回復しても、その利益が労働者の懐に還元されないことをわれわれは知っている。小泉政権から安倍政権期に、日本経済は、「イザサギ景気を超える好景気」と言われたが、その実体は、企業の内部留保が増大するばかりで、不安的な労働者は拡大していった。
暗礁に乗り上げているかのように思える日本社会。出口が見えない中、重苦しい閉塞感は漂うと、人々の間には「ガラガラポン」幻想が広がる。とにかく、現在の状況を一気に打破してほしい。限定化した構造を流動化してほしい。そんな「リセット願望」が共有され始める。橋下氏の「大阪市役所をぶっ壊す」というスローガンは、そんな「リセット願望」と呼応した。そして、この願望は「リア充批判」と一体化し、強力なハシズム推進力となる。
中途半端な論考だけど、足の引っ張り合いをやっている間に、富裕層との格差は格差は広がっていくばかりだと思う。