from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

俺の眼を見つけた

samso2011-12-21

何回も目を醒ました。4時半頃に目を醒ましてからは、ウトウト。
5時20分に起きた。生姜紅茶を作って、パソコンの前へ。
6時半過ぎから朝食。後から起きてきた妻は今日も走りに行った。
着替えてから、息子を起こすと、「今日は金管がない」と言って、布団に潜ってしまった。
「もう起きないと」と言って、うちを出た。
外に出ると曇り空で、気温が低く、寒かった。
最低気温1℃、最高気温7℃。
今日はまた残業。
8時15分過ぎに会社を出た。
9時過ぎに帰宅すると、来てたはずのS君母子はもういなかった。
「シャワー浴びた?」と息子に聞くと、「まだ」。「もう寝る時間。早くシャワー浴びて!」。
息子に後にシャワーを浴びて、寝室に行くと、ハダカのままで布団に包まっていた。「早く着て!」と言うと、「ママに薬をぬってもらう」。「宿題は?」「やった」「全部」「…」「全部やってない?」「明日やる」「なんで今日やらなかったの?」「明日説明する」
息子は9時半頃に寝た。
テレビをつけると、「巨匠たちの青の時代 スタンリー・キューブリック 俺の眼を見つけた!」をやっていて、知らなかったキューブリックの素顔に触れた。学校に馴染めず、登校拒否。13歳の時に父からもらったプロ用カメラで写真を撮るようになり、自分の世界を得た。撮った写真を写真雑誌に売り込むようになった。16歳のときに撮ったルーズベルト大統領の逝去の時の新聞売りの写真が認められ、写真雑誌「ルック」に掲載された。それから見習いカメラマンになった。そのうち、映画に惹かれるようになり、ニューヨーク近代美術館に頻繁に通い、ハリウッド映画ではない、外国映画から撮影手法を学んだ。23歳の時に、ボクサーの日常を綴ったドキュメンタリー映画「Day of the Fight」を制作した。写真で鍛えたアングル取りを生かした映画だった。ドキュメンタリー映画から入っているから、カット撮りをしない長回し、人の目線にあわせてカメラを移動させる映画を作っていった。第一次世界大戦のフランス軍が突撃を行う映画「Paths of Glory」では、塹壕の中でカメラを移動させて緊迫した兵士の姿を撮った。「シャイニング」では、開発されたばかりの「ステディカム」を多用して、恐怖感を募らせる映像を撮った。