from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

風邪が悪化し、一日ゴロゴロしていた

samso2011-01-16

8時前にやっと起きた。風邪の症状がさらに悪化し、ずっと寝ていたかった。
息子に続いて妻が起きてきて、朝ごはんを作ってくれ、朝ごはん。
朝ごはんのあと、また寝に行った。
息子は9時過ぎにK君と遊んでくると言って出て行った。ラグビーの練習があるので、10時半までに帰ってくるように念を押した。そのあと、12時に帰ってくると言って妻が出かけた。
息子が帰ってきたのは、10時45分だった。叱ると言い訳をした。外に出たくはなかったが、五中への道を覚えていないというので、息子と一緒に出た。風が冷たく、かなり寒かった。五中まで送っていって、帰宅。
寝たり本を読んだりして昼まで過ごした。12時過ぎに妻が帰ってきて、お昼の用意を始めた。
息子は、1時15分過ぎに帰ってきて、お昼を食べた。
2時からサッカーの練習だったので、1時50分に四中に送り出した。
また寝たり本を読んだり。4時過ぎに妻は息子の練習を見に行くと言って出かけた。
しばらくして電話を掛けてきて、息子はもう帰ったあとだと言ってきたが息子はまだ帰ってきていなかった。
息子が帰ってきて、何で遅かったのかと聞くとおしゃべりしながら帰ってきたと。すぐにシャワーを浴びるように言った。
妻と一緒に昨日パーティにいた子どもたちが息子にベイブレードを教えて欲しいとやってきた。しばらくベイブレードで遊ぶと飽きて、オモチャ箱からオモチャを持ってきてあそんだり、iPadでゲームをやったり、妻が作ったご飯を食べたり。
7時過ぎにUさんが来て、しばらくあとにBさんが来て、7時半過ぎに帰って行った。
9時から、「NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか(2)陸軍 暴走のメカニズム」を見た。「派閥優先の論理と縮小を拒む膨張体質など「内向きの行動」が超エリート集団を戦争へと追い込んでいった」という内容だったが、端折りすぎで、中途半端な内容に思えた。

昭和史 1926-1945

昭和史 1926-1945

を読み終えた。

国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてはいけない。ひとことで言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。熱狂というのは理性的なものではなく、感情的な産物ですが、昭和史全体をみてきますと、なんと日本人は熱狂したことか。マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威をもちはじめ、不動のもののように人びとを引っ張ってゆき、流してきました。