from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

集団思考という死に至る病

バートン・ビッグズ著「ヘッジホッグ」から。

集団でのやり取りにはよくない相互作用が働くのに気づいている人は少ない。ほとんどの場合、頭のいい人たちからなる集団は、あまりにも多くのものを背負い込んでいるので、個人が一人で考えた方がよい判断を下せる可能性はずっと高い。集団の集合的頭脳は間違いなく要素の合計を下回るのであり、委員の数が多ければ多いほど、委員会が賢明で明快な意志決定を行える可能性は低くなる。ちょっと思いついただけだけれど、狂気は、個人では例外的だが集団ではよくあることだと言ったニーチェは鋭い。
集団思考(というか集団痴考というべきか)はあらゆる委員会にはびこる病気であり、しかもほとんどの場合に自覚症状はない。実際、うっかりそれを楽しんでしまっていることが多い。集団が仲よくなればなるほどメンバーはお互いに敬意を払い、お互いを好きなる。委員会が大きくなればなるほど、また委員会が重要なものになればなるほど、間違った判断を下す可能性は高くなる。
私たちは子どもの頃から、集団の一部でいるのが得だ、あまり人と違わないのがいいと、社会から教え込まれている。・・・委員会のメンバーにとって、グループと一緒に間違いを犯す方が、反対意見を述べるよりもほとんどずっといい選択に見えてしまうのは何とも不幸なことである。これはたとえその反対意見が正しい場合にもそうだ。もしも反主流派でしかも間違っていたら、もう委員会の意味あるメンバーではなくなってしまう一方、仮に正しくても、ほとんどメンバーは都合よくそのことを忘れてしまう。
集団思考への防御手段はいくつかあるが、この知能ガンに対する本当の予防方法は一つしかない。病気を自覚することである。