from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

鈍感外交

靖国参拝の場合は合祀問題を除けば「戦没者の追悼行為」として国際的な常識に照せば理解の範囲なのですが、慰安婦の「狭義の強制はなし」という発言が「国家の誇り」を背負って出てくるというのは理解を越えているのです。それは自分たちが「絶対悪」だと思っている「売春の強制」を安倍政権は「必要悪」だと思っているのではないかという疑念、更には世界から消滅したはずの「旧枢軸国の歴史的正当性」の復権を狙っているのではないかという驚きにつながってゆくから思います。
時代の流れの中で純然たる非武装中立論というのは非現実的になってしまいましたが、旧枢軸国の名誉が回復できるというのも同じぐらい現実離れしたファンタジーなのです。理由は簡単で、人類は第二次大戦を「最後の世界戦争」にすると決意して国連を作ってお互いの生存を保証しているのであり、その限りにおいては旧枢軸国の歴史的正当性が認められることは政治的にはあり得ないからです。
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小泉政治の手法の中には「アメリカが苦境にあるとき、世界から非難されている時に支持すれば感謝されるだろう」という計算があったのは明らかでしょう。その時には成り立つ計算ではあっても、アメリカが敗北を認めてゆくプロセスでは、そうした心理的効果はゼロになる、安倍政権はそれに気づくべきなのです。気づかないのであれば、日米の政府間のズレはどんどん広がるでしょう。
この齟齬は大きなものがあります。そのズレの空隙の間から、歴史認識や価値観の問題が顔を見せてしまっている、それが現在の政府間関係の異常事態の本質だと思います。