from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

あれから5年経った

夜中の3時過ぎ、雷の音で目が覚めた。雨も強く降っているようだった。開け放した窓が冷気が入ってきた。部屋の中に稲妻の光が時より入ってきた。轟くような音が続いて、子どもも起きた。「せんたくもの、いれた?」「干してないよ」「まど、しめた?」「まだ」「しめてきて」「閉めてくるから、心配しないでねんねして」。また寝るまで30分以上かかった。
朝、雨は止んでいた。気温は下がっていたが部屋の中の湿度は高いままだった。外に出ると風が吹いていて、涼しかった。渡り廊下を歩いていくとまたアブラゼミがひっくり返っていた。子どもが手を出すとアブラゼミの足が動いた。「早く!」「かえってきたら、セミをとっておいて」。
保育園に着くと子どもは「うちはかみなりがすごかった」と保育士さんに告げていた。あとからきた同じく組の女の子に「あれぐらいのかみなりはこわくなかった」と言った。
保育園から戻ってくるとまだアブラゼミはひっくり返ったままだった。掴んでうちに持ち帰り、カナブンが入っている虫かごに入れた。
9時前にうちに戻ってきた。「セミがカナブンを怖がっているから、カナブンを出して」と子どもが言ってきた。まだ虫を触るのが怖いようだ。シルバー人材センターの人が帰られてから、カナブンを虫かごから出してベランダの向こうに投げた。
9時から「完全映像化独占放送筑紫哲也安住紳一郎NYテロ5年目の真実」が始まった。子どもが「ひこうにまどがなかったの?」と聞いてきた。「窓はあったよ」「だったらさー、まえがみえるのになんでビルディングにぶつかったの?」。しばらく見ていたが「もうみない」と言った。10時過ぎに子どもを寝かしつけ、引き続きテレビを見ていると、11時頃妻が帰ってきた。

2001年9月11日は子どもが生まれる約1カ月前だった。
9月19日の日記。

11日は妻の職場の送別会だった。「とりすみ」であった。多勢の人が来てくれた。
帰って来てテレビを見ていたら、突然、ニューヨークの世界貿易センタービルの一方のビルのかなり高い所から煙が出ている映像が写し出された。飛行機がビルに飛び込んだとのこと。しばらく経って、右から飛行機が飛んできて、後ろに見えるもうー方のビルの何階かが燃え上がるのが見えた。テロ攻撃だった。このあと、ワシントンの国防総省と、ペンシルバニア郊外にも旅客機が墜落した。