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子育ての日々の断片を書き綴る

素質

中国ビジネスのススメ「日本人の素質(すーじ)の高さ」。

「両国民の相互理解」は日中友好の基本です。しかし、日本人と中国人がお互いのことを、
十分に理解しているか、といえば、ほとんど理解し合っていない、というのが現状ではないでしょうか。
確かに日本には、「中国人、というのはこういう人たちだ」ということを書いた本がたくさんあります。しかし、それらは、中国の人たちの非常識さ(と言っても、日本人の常識から見ての非常識さですが)をおもしろおかしく書いたものがほとんどです。
公共の場所で大声で話す、列に並ばない、交通ルールを守らない、ゴミはその辺に捨てる、衛生の観念が薄い、サービス精神が全くない、無責任、カネを払わない、などなど。
これらはある部分本当なのですが、近頃は、経済発展が進むに従って、ずいぶん事情が変わってきています。
最近、中国の人たちの間で、素質(すーじ)という言葉が頻繁に使われるようになってきました。
日本語の素質(そしつ)は、学問の素質がある、とか、スポーツの素質がある、というように使われ、生まれ持った才能のことを意味しますが、中国語の素質(すーじ)は、行儀の良さ、育ちの良さ、しつけの良さ、というようなニュアンスの言葉です。素質高(すーじがお)と言えば、行儀が良い、ということですし、素質低(すーじでぃーと言えば、行儀が悪い、という意味になります。
そして、素質(すーじ)の高い人たちは、行儀の悪い人たちに不愉快な思いをさせられると、「あの人たちは、素質(すーじ)が低いから...」と吐き捨てるように言ったりするのです。
日本で思われているように、中国人が全員、素質(すーじ)が低いわけではないのです。逆に言うと、「中国人は行儀が悪い」と言っている日本人は、行儀が悪い中国人がいるようなところにしか行っていないのです。
そして、中国で素質高(すーじがお)のお手本として、いつも筆頭に挙げられるのが日本人です。日本人の礼儀正しさ、勤勉さ、規律を守る姿勢は、中国でも有名です。

海舌『小泉氏の年頭会見は、小泉氏が律儀な「構造主義者」であることを物語っている』から。

小泉氏は、「靖国参拝外交問題にはしない方がいい。」「日本人からおかしいとの批判が出るのはいまだに理解できない。」「外国政府が心の問題にまで介入して外交問題にしようとする姿勢も理解できない。」と、自己の認識構造を述べて、その「枠」からしか自分は世の中が見えないことを主張するのみである。このような構造主義は、自己の価値を認めるだけで、他の価値を認めないために、激しい紛争を常に招く。
所謂、多様化した社会においては、こうした構造主義を超えて、つまり、「脱構造主義」的に、異なる価値存在を認め、差異の重要性、尊重へと進む必要が在る。
アジアの多くの諸国が、小泉氏の靖国参拝に「異議」申立している事実は、小泉氏の「価値」感が、アジアにおいて一般性を持たないことを表しているのであり、ここを、まず、出発点として、多様な戦略を練る必要が在る。
例えば、ゲームの理論も、このような状況を解決する手段の一つとして開発されたものであり、「脱構造主義」の道具である。
小泉首相自らが、多くの国家的選択支を溝に捨て、個人の精神の自由と突き返す態度は、「多様な価値観に『於ける』合理性」を追求するポスト・モダン社会からは、極めて、旧態依然たる「頑迷者」と映る。