from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

会社の忘年会があった

samso2005-12-17

耳鳴りがすごくて、人の話が聞きづらいので、決心して耳鼻科に行くことにした。前に行った耳鼻科はちょっと遠いし、この前は先生が病気で休診だったし、診療開始時刻が遅いので、別の耳鼻科を探してみることにした。通勤で使っているバスに乗ると、近くの停留所の案内の下に耳鼻科の名前と電話番号が出るので、その耳鼻科を探そうとググッてみたが、出てこない。先日、玄関先にNTTのタウンページが置いてあって取り込んであったので、見てみたが、載っていない。仕方がないので、ググッて見つかったちょっと遠い医者に行くことにした。妻と子どもが起きてきて、朝ご飯を食べたりしているうちに、開院時刻10分前になった。慌てて自転車に乗り、その医院がある吉祥寺に向かった。着いたのは、開院時刻5分過ぎ。すでに待合室には20人ぐらい待ち人がいた。
時間がかかりそうだったので、置いてあった週刊文春を読む。猪瀬直樹のエッセイに鳥取県の片山知事と対談のことが書いてあった。鳥取県では本当に必要かどうかを検討してダムをやめたが、田中康夫は脱ダム宣言しただけで、その後放ったままで何もやっていないじゃないか。県庁のコピー機のリースが複数年契約ではなく一年契約になっていて、民間の企業のリースと比べると明らかに高い。それで、構造改革特区に申請して複数年契約ができるようにしてもらった。そうしたら、コストが2割になったなどと書かれてあった。
1時間近く経過してようやく受付の人から名前を呼ばれた。名前を呼ばれてもすぐに診療してもらえる訳じゃなく、奥にあった椅子に座ってさらに先生に呼ばれるのを待つ。向かいにお父さんに抱かれていた小学生がずっと泣いているので、看護婦さんが側を通るたびにもうすぐですからねと声を掛けるが、なかなかその子の順番にならない。ようやくその子に順番になり、カーテンの向こうに行ったが、3分ほどで戻ってきた。その子の次の次でようやく先生から名前を呼ばれた。症状を言って、耳を見てもらうとすぐに「分かった」と言われた。やはり耳あかが外耳道の奥でつまっているとのこと。耳の中の洗浄が始まった。何回かうっと思うような痛みを感じた。5分ほどで洗浄が終わると、激しい耳鳴りはなくなっていた。
妻がクリスマスケーキを予約しに行くと言っていたが、帰るとまだ行っていなかったので、子どもを連れて出た。まず、図書館に行って子どもの絵本を返して、また本を借りてから、ケーキ屋に行った。子どもに選ばせたら、ピンク色のモンブランベースのものを選んだ。一度それでとは言ったが気が変わって、白い色のノーマルなものに変更。サイズはと聞かれて、15cmとは言ってはみたが、お隣にもあげるからと妻が言っていたを思いだし、余るかもと思いながら18cmに変更。伝票を何回も書き直しさせてしまった。
帰ってきてすぐに昼食をとって、団地のクリスマス会に行く妻と子どもをおいて、六本木に向かった。六本木に着くと、サンタの格好をした西洋人がCDを配っていた。後でもらったCDを見るとキリスト教へのお誘いだった。
六本木ヒルズに着くと、怪しげなセミナーを案内する看板を持った若者がいつものようにあちこちに立っていた。
怪しくないセミナーが終わって、会社の忘年会会場の恵比寿に向かった。早く着いたので、JRの駅のアトレをウロウロしたあと、ガーデンプレイスタワーのエレベーター乗り場に行った。列ができていて、エレベーターに乗るまで10分以上待った。38階に着いてお店に。和食の店ということであったが、和洋折衷のインテリアで暗い。料理が運ばれてきたが、料理がよく見えなかった。窓から景色はよく、羽田空港を離発着する飛行機の赤いライトがよく見えた。ビンゴゲームがあって、なんとかゲームが終わる前にビンゴになり、ラーメンセットをもらった。iPodとかデジカメとかもあったが、ビンゴにならないまま終わった人がいたし、当たってもタワシという人が何人もいたからマシな方だった。
9時過ぎにお開きになって、うちに帰ってきたのは、10時半頃。子どもはまだ起きていて、ずぐっていた。クリスマス会はどうだったのと聞くと、お菓子をもらったり、歌を歌ったり、人形劇を見たりして、楽しかったのようだった。クリマス会のあとは、インド人宅に夜までお邪魔していて、10時頃に帰ってきたらしかった。5歳の子が遊びに来ていて、今度うちに遊びに来てと誘ったと寝る前に子どもが言った。