from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

明快と難解

武田徹さんが

難解な研究の成果を国民に分かりやすく解説できるよう、国の音頭でサイエンスライターを育てるべきだ――。去年の秋、文部科学省の科学技術・学術審議会からそんな提言が出されたと報じる記事を見て、思わず目がとまった。

と書いていて、筑紫哲也さんが

言葉はこの国では二重、三重の意味でほろびつつある。これまでも繰り返し私が言ってきたことだが、若い世代から日本語が「喪失」しつつある。私が長く身を置いた新聞界では難解、当用漢字以外の表現を読者から抗議されれば謝るのがルール。「無知」が大手をふるい「知」がひっ込む仕組み。

と書いていた。お二人に聞けば、お互いにそうだというと思うが、明快でないといけない、難解でも構わないという議論は、日本語の乱れに関する議論と同じぐらい喧喧諤諤になりそうなことだ。どちらも日本語の教育の話になりそうだけれど、リテラシーの向上をすぐには望めない今は、ジャーナリストの方々に分かりやすく書いていただくしかない。分かりやすく書くことで伝わらないときは、別の「難解な」文章を用意してもらう。全部難解な場合は、分かりやすい日本語に翻訳した文章を添えてもらう。筑紫さんのようなことを言っていると、一般大衆には直接情報が伝わらず、自民党議員達が吐くような「荒々しく、粗い言葉」だけで情報が伝わるように思う。