from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

日本人の国民性

渡辺パコ「環境生活のすすめ」』で、渡辺パコさんが

無用な消費を押さえることはもちろん重要ですが、ステップとしては、使わなくなったものは適正な金を払って処分する、という習慣を根付かせるほうが先だというのが、僕の考えです。

と言うのに対して、このコラムの読者の方が

このコラムを書いている方は、日本人の国民性をよく理解していないようです。日本人というのは規則を作らないと誰も従わないというのが一般的です。例えば、運転中の携帯電話。これも法律で規制しても改める人が増えなかったので、罰則を強化しました。リサイクル法も同様です。

とコメントを寄せていた。「日本人の国民性」ってなんなの。そもそも国民性って、他国と際だって違う集団的性格、平均的性格のようなものなのかな。
いろんな国の人を乗せた船が転覆しそうになったが、救命ボートには全員が乗れない。それで何人かの乗客を海へ飛び込ませるために、船長が

ドイツ人には、「そういう規則になっております」
アメリカ人には 「向こうで女性が見ていますよ」
イギリス人には、「サーの称号が授与されます」
で、日本人には耳もとでそっとこう言うの。
「みなさん飛びこまれるそうですよ」

と(これには色々なバリエーションがあるようだ)いうパーティジョークがあると、神保哲生さんが宮台真司さんとのトークで言っているけど。
国民性って便利よく使われる言葉だけれど、怪しい言葉だね。都合よく使われるというか。上のコメントでいえば、「そういう人が多い」ということだと思うけど、国民性っていうとみんながみんなそういう行動をするように受け取られてしまう。
仮に国民性というものがあるとしても変化しないわけではないでしょ。 現に「教えて!goo」の「国民性って、一体??」という質問に、「国民性は失われて集団行動は付和雷同に、友好的というより独善的に、勤勉は拝金主義に、変化しているのが現状ではないかとおもいます」と答えているるし、統計数理研究所が「日本人の国民性調査」というのを長年やっているのはどのように変化しているかをみるためだろう。
リサイクル費用を製品を購入するときに支払う方が抵抗が少ないと思われるが、それだと環境を配慮すると意識が希薄になるから、処分するときにお金を払う習慣を根付かせないとと言っているのだろう。意識を変えることが大事なのに、それを国民性と言ってしまうと身も蓋もない。