from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

東北で大地震があった

samso2011-03-11

5時20分過ぎに起床。
朝ごはんを食べ、6時半過ぎに息子を起した。息子が朝ごはんを食べ始めた6時50分ごろ、うちを出た。
晴れていて、思った以上に寒かった。2℃ぐらい。
午後2時46分ごろ、三陸沖で地震が発生。震源地に近い宮城北部は震度7。東京でも震度5弱だった。会社の地下オフィスにいたので、強い揺れではなく、ゆらゆらと長い時間揺れた。外に出ると歩道に近辺のオフィスの人たちが非難していた。何回か余震あり。うちに電話をしてみるが、全く通じなかった。知り合いにメールを送信し、息子が帰っているか見てくれるよう、お願いした。ネットで被害状況を確認すると、東北地方は大変なことになっているようだった。
知り合いからメールが届き、「今、家まで行きましたがいないようです。また後で行ってみますね」と。
JRは全線ストップしているとのことだったが、息子のことが心配で、5時20分過ぎに会社を出た。小滝橋付近のバス停に行くと、中野駅行のバスを待っている列ができていた。しばらく列に並んだが、道路が渋滞していたので諦め、中野駅まで歩くことにした。かなりの人が歩道を歩いていた。コンビニがあったので、スナック菓子とiPhone用に乾電池を購入した。
6時過ぎに中野駅付近に到着。列が出来ていたので、聞くと吉祥寺駅行のバスの列だというので、並んだ。待っているとどんどん冷えてきた。横に喫茶店があったので、トイレを借り、売っていたパンを購入した。多めに買ったので、周りの人に配った。それから周りのお年寄りと話し始めた。都心から京王バスで中野駅まで来た人がいた。駅の広場近くまで進むと、無料で中華スープを配っていたので、もらいに行った。なかなか美味しいスープで、ひと息つけた。

 
「学校でもしかしたら預かっているかもしれないと、大野田に行かせているお母さんが言っていました」と知り合いからメールが届いた。学校に迎えに行ってくれるようお願いした。迎えに行ってくれ、「息子の友だちのうちでご飯食べています」と連絡が来た。
バスに乗れたのは、9時頃だった。バスに乗っていると、知り合いから、連れてかえって寝かせてくれた連絡があった。そのあと、別の知り合いから、車で迎えに行ってもいいとのメールが来た。自分は大丈夫であったが、バスに乗り合わせたお年寄りで足が不自由な方がおられたので、迎えをお願いした。
吉祥寺駅に着いたのは、11時過ぎだった。タクシー待ちの列がすごかったので、タクシーでしか帰れないというお年寄りにも声を掛け、知り合いの車まで連れて行った。東急デパートで知り合いと落ち合い、お年寄り三人を自宅まで連れていってくれるようにお願いして、車に乗った。
団地付近で車を降り、うちに着いたのは12時過ぎだった。うちの中は思った以上には散乱していなかった。食卓上の金魚ボトルは無事だった。