from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

安全基地と文脈依存性ダイナミクスとミラーニューロン

茂木健一郎さんの講演から(3)。

ジョン・ボウルビィ(Jhon Bowlby)氏は、戦後、孤児収容施設でボランティアをし、戦災孤児などの発達に関する調査研究にあたった。孤児院の子に、発達の遅れ、病気に対する抵抗力が弱い、あるいは問題児となる傾向が強いという事実があり、その原因を究明しようとした。そして、問題を起こす児童は、多くの場合、幼少期に十分な心理的安全基地(Safe Base)を与える保護者を欠いていたということを見いだした。子どもに世界というのはほとんど未知なわけだから、いろんなことにチャレンジして、失敗しないと学習ができない。子どもが安心して学習行動を起こせるのは、保護者にあたる人がある種の安心感を与えるからだ。見守ってあげるとか、危ないことがあったら、ちゃんと注意してあげるとか。そのような安全基地を与えるということが重要である。安全基地を与える保護者に対して、子どもはアタッチメント、愛着という概念をもつ。子どもにとって最大の発達課題はアタッチメントをもつことであるということを発見した。
この安全基地がないという子どもは、重大な危機に陥る。安心して探索できない。過保護ではなく、イニシアティブをとって探索するために背景から支えてあげるということ。
セーフティネットは弱者保護という側面だけでなく、社会の人々が探索してチャレンジするためのインフラという側面もある。
現在ということ考えるうえで重要なものの一つに、文脈依存性ダイナミクスというものがある。ITというものに駆動される現在のメディア状況を考えるときに非常に重要な鍵になる。
人間には、いわゆる「場の空気を読む」驚くべき能力がある。前頭前野を中心とする神経細胞のネットワークが、その時々の文脈を読み取り、適切な行動をとることを可能にしている。
モバイルやユビキタスといった技術の発展により、場所や時間の限定を超えて自由に文脈を制御することができるようになった。ニューヨークの街を歩きながら東京のオフィスからの連絡を受けたり、レストランでの会食中に仕事のメールを送受信したりということが普通に行われるようになってきた。このような変化の結果、人間の脳内の文脈依存性ダイナミクスは、かつてないほど活性化している。
対人関係という文脈が脳を最もモジュレーションする。自分探しというのはウソ。本当に一つだけの自分があるというのはウソで、関係性の数だけ異なる自分がいると考えたほうがよい。
よく受ける質問の一つに、「脳は、10%しか使っていないというのは本当ですか?」というものがある。脳の中には、「ニューロン」、「グリア」と呼ばれる二種類の細胞が存在する。このうち、ニューロンは「活動膜電位」を持ち、脳による認識のプロセスにおいて明確な役割を担うが、グリアの役割は当初は明らかではなかった。その「静かな細胞」であるグリアが全体の約90%を占めるところから、「脳は10%しか働いていない」という説が流布した。
最近の研究により、活動していないように見えるグリアも栄養補給などの重要な役割を担うことが示されている。脳は、実際には無駄なく使われているのである。
ところで、人間の脳は、状況に応じてさまざまなモードで活動する。
脳の細胞の10%しか使われていないというのは正しくない。しかし、脳が潜在的に持つモードのうち、どんな人でもそれこそ10%も使っていないというのはおそらく事実である。
ここ十年の脳科学における最大の発見といえば、何といっても大脳皮質の前頭葉で見つかった「ミラーニューロン」である。最初は猿の脳から報告されたが、その後、人間の脳でも対応する部位が発見された。
ミラーニューロンは、その名前が示唆するように、自分の行為と他人の行為を鏡に映したように表現する。例えば、自分が手を伸ばして何かを掴むときにも、他人が同じ行為をするのを見ているときにも活動する。
ミラーニューロンが注目されるのは、それが、「他人の心を読み取る」という脳の大切な機能を支えているのではないかと推測されるからだ。人間の本質は、他人とコミュニケーションをする社会的知性に顕れる。ミラーニューロンは、他人と柔軟にコミュニケーションする人間の驚くべき能力を支えていると考えられる。
ミラーニューロンの発見に象徴されるように、個性は、むしろ他人との関係性においてこそ磨かれる。他人の心という鏡に映った姿を通して、私たちは自分の本性を知るのである。異質な他者ほど、自分を磨く鏡になる。