from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

コンフリクト・フリー

安心のファシズム―支配されたがる人びと (岩波新書)」から。

「このテーマについてどう思う、と尋ねると、「思うってどういうことですか」。あなたの考え方を聞いているんだよと返すと、「私には考えはありません」なんて会話をされられることが珍しくないんです。「私は小さい頃から先生に評価されるように、どう答えたらよいかということに励んできたので、いい成績を取ってこれたのです。それで難しい大学に入ってこれたのだから、それでいいじゃないですか」って。絶句しますよ。
ものを考えるということは、別の言い方をすると、論理の矛盾に対して一定程度のセンシビリティ(感性、細やかな神経)を持つということでしょう。彼らにも一応の考え方はあるんですよ。でも、雑多な考えが矛盾していても、清濁併せ呑むというのか、結局は全部受け入れてしまえて、内面での葛藤も特に起こらない。コンフリクト・フリーだから」
「コンフリクト・フリー」は、こんな感じでも使われる。長年にわたって学校教師の診療に関わってきた野田教授は、このところの学校現場には、教師がむしろ積極的かつ意識的にそのような精神状態に自らを持っていくことができないと、深すぎる葛藤に苛まれて重大なストレス障害に追い込まれてしまう状況が現れているという。