from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

昔あそびのお手伝いをした

samso2014-01-11

6時に起床。
7時過ぎに息子を起こして、朝ごはん。
また8時前のギリギリの時刻に息子がサッカーの練習に行った。
寒かったので着込んで、正月のお飾りを持ち、9時15分過ぎに「昔あそび」のお手伝いに小学校へ。思いの外、日向にいると暖かかった。
今回は独楽回し。設定が終わって、10時過ぎに「どんど焼き」が始まった。今年は見学者が少ないように感じた。
どんど焼きが終わって、昔あそびのコーナーに子どもたちが集まってきた。独楽回しにも思った以上に子どもたちが来て、時々独楽の数が足りないぐらい。合間に独楽の手回しに挑戦したが、何回かやっている間に成功率が高くなった。
 



10時半頃にサッカーの練習が終わった息子も友だちと一緒にやってきた。
11時過ぎにお汁粉をいただいた。12時前に先に失礼した。
 
すぐにお昼の支度。息子の帰りを待っていたが、なかなか帰って来ないので、一人で昼ごはん。
12時45分頃になって、ようやく息子が帰ってきた。シャワーを浴び、昼ごはんを食べると、ソファで寝てしまった。
1時半前に起こして、塾に行かせた。
テレビで全国高校サッカー選手権の準決勝の試合を見た。星稜対京都橘戦は、京都橘が勝つと思って観ていたが、星稜が4対0で勝った。京都橘は、準々決勝の西船橋戦ではディフェンスをしっかり固めて、少ないチャンスを活かす戦略だったのに、星稜戦では前のめりでディフェンスが甘かった。それまで星稜には負けたことがなかったので、攻め急いだのか。
4時過ぎに息子が塾から帰ってきた。食材を買いに、スーパーに行き、帰ってきて、息子用の夕飯の支度。息子は外にサッカーをやりに行くと言って、出て行った。
5時半過ぎに息子を呼んで、息子が夕飯を食べ出してから、サッカークラブの新年会へ。
9時過ぎに帰宅。息子はいなかった。Mさんに電話すると、息子は来ていて、今勉強していると。
9時半過ぎに息子が帰ってきた。シャワーを浴び、10時半頃寝に行った。

NHK戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第6回「三陸・田老」

チリ地震津波の後、津波対策のための防潮堤や防波堤は2011年までに岩手と宮城でおよそ190箇所、170kmにわたって築かれていました。東日本大震災によっておよそ9割が破壊されました。
当時、防潮堤計画を進めた運輸省防災課の久田安夫さん『50年前にもし越えても壊れないようなものをつくるとか、あるいは超えるかもしれないよ。超えた時どうするかも考えてときなさいよと言えた人はまずいなかった。たぶん誰も言ってないから、今回みんなが反省してるんだと思いますよ。市長さん、村長さん、町長さんも含めて、そういうことを住民の方に言える方はいなかった。その時、私は言えたら、本当によかったと思っています。これは防災担当者としての悔しさというか、人間の知恵というのはなかなか、後知恵はつきますけれど、その時はなかなかね』
東日本大震災後、1兆円に近い予算が組まれ、各地に10m級の防潮堤が計画されました。しかし、今三陸各地の住民から見直しを求める声が高まっています。