from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

誰も真剣に警告したものはいなかった

JMM『「ブッシュの危機と日米関係」from 911/USAレポート』から。

カトリーナの被害からまだまだ復興のメドの立っていないニューオーリンズでは、「マルディ・グラ」というカーニバルのお祭りに注目が集まっていました。本来であれば、全米最大規模のカーニバルとして、たいへん有名で、特にヨーロッパからの観光客を集める一大イベントです。
今年は、観光客がそれほど集まらない中、復興へ向けた街の勢いをつけようと、市民としては手作りのイベントを盛り上げる努力を続けていました。こうした動きを紹介しようと、各メディアはニュースキャスターをルイジアナに送り込んで、特番をやっていたのですが、丁度この行事にタイミングを合わせるように、問題の「ブラウン氏」がTVに再登場し始めたのです。
さて、このマイケル・ブラウン氏といえば、この欄でもお伝えした通り、連邦政府の「カトリーナ」対策の「遅れ」を象徴する人物として、2005年8月31日の被災、そしてそ直後からのニューオーリンズの混乱に関する責任者として、政治的にもメディアの好奇心の対象としても、「袋だたき」という状態でした。
やれ「前職が馬主協会の会長で、危機管理の経験はゼロ」とか「渦中のルイジアナから、ワシントン郊外の自宅に帰りたいと泣き言をもらした」とか、メディアは言いたい放題でした。そのような「国民感情」に押されるように、ブラウン氏はFEMA長官の職にとどまりながら、「カトリーナ復興の指揮権」を軍に渡すよう命じられ、ルイジアナからワシントンへ引き揚げさせられたのです。
程なくして、FEMA長官の職からも更迭されると、このブラウン氏はすぐに政権批判を開始しました。「オレは再三に渡って事前警告した。だが、連邦政府は何も動いてくれなかった」というのですが、昨年秋の時点では、その言葉を信じる人間はほとんどゼロでした。「要するにコイツが悪いんだろう。他の連中も悪かったんだろうが」というのがイメージとして定着していたのです。
ところが、今回そのブラウン氏が猛然と反撃に出たのには「材料」がありました。それは、8月28日のFEMAとブッシュ大統領の間で行われたビデオ会議の記録映像です。上陸の約2日前、高温の海水にエネルギーを供給されたハリケーンが、メキシコ湾で異常発達している時のものでした。ブッシュ大統領は、テキサス州クロフォードの「山荘」にいて、ワシントンの会議にビデオ電話で「参加」という格好になっています。
ブッシュ大統領は、この会議で「心配するな。連邦政府は準備万端だ。ハリケーンの最中だけでなく、通過後のクリーンアップにも対応できる」と言っています。ですが、ブラウン長官(当時)はこの回答には満足せず「大統領、控えめな言い方をしてもですね、これはデカいんです。FEMAでは全員が色めき立っています。お分かりですか」と、尋常ではない雰囲気を伝えています。
そして「ニューオーリンズでは、最後のシェルターだというので、スーパードームに人が集まっています。でもこの場所は海面下なんです。それにこのドームの屋根も心配です。更に言えば、壊滅的な被害を受けたときに対応する設備も、精神的なものも懸念されるんです」とハッキリ言っています。
各局のTVニュースでは、ハリケーンが上陸して堤防が決壊した後の9月1日のブッシュ大統領のインタビュービデオを並べて流していますが、ここでブッシュは「誰も真剣に警告したものはいなかった」と喋っています。ですが、ブラウンに言わせると「ビデオ会議ではSOSを出している」のですから、これでは完全にブッシュの負けになります。
人々は、ルイジアナで前線指揮を取っていたブラウンの姿しか知りません。各局のTVが「スーパードーム」の惨状を伝えながら、人々が「ヘルプ、ヘルプ」と叫ぶ中で、対策の最高責任者でありながらバトン・ルージュ(ルイジアナの州都)から動かないで弁解ばかり言っている、というのがブラウンのイメージでした。
ですが、その数日前に「危険を予告」しているブラウンの映像は、危機感と精気にあふれ、大変な剣幕で部下に準備を促しながら、大統領に「大変ですよ」と言っているのです。何ともでき過ぎた感じの映像ですが、さすがに「ニセモノ」ということはなさそうです。FEMAのメンバーの顔も映っていますし、TV会議の相手はブッシュ大統領だけでなく、ジョセフ・ハーギン次席補佐官も同席しているのですから、否定のしようはないでしょう。