from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

神社の本を読んだ

2時過ぎに目が醒め、トイレ。

目覚まし音で6時に起床。

コーヒーを淹れ、ブドウパンとバナナと牛乳で朝ご飯を食べながら、テレビの視聴。

着替えて、洗濯物をベランダに干して、7時にうちを出た。

電車に乗って、勉強のために神社の本を立ち読み。

駅を出て、晴天のもと、会社に向かった。

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8時10分前に会社に到着。インスタントコーヒーを飲みながら、神社の本を読んだ。神社の成り立ち、神事は疑問だらけ。次々と神社を作ったのは治水や養蚕などの技術に長けた渡来人だったようだ。土着信仰をうまく利用して、勢力維持のために。

8時25分頃から仕事。

12時過ぎから昼ご飯。昼ご飯後、話をしていて、昼寝の時間がほとんど取れず。

1時から仕事を再開し、5時40分に仕事を終了。

6時45分過ぎに帰宅。カボチャの煮付けと味噌汁を作って、ローストビーフを切って、夕飯。カボチャの煮付けは失敗した。

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夕飯後、ミカンを食べながら、田中美佐子の「ファミリーヒストリー」を見たら、思った以上に面白かった。

田中美佐子「ウソ!?」 母の知られざる一面知り感涙「女優やっているのなんてビックリ」|ニフティニュース

田中は島根県隠岐諸島出身。1959年、父・皓さん、母・照子さんとの間に、4人兄弟の末っ子として誕生した。東京の短大に進学し劇団に入り、役者への道を歩き出した。女優を目指したきっかけについて、「なんとなく物心ついた時からこれ(芸能人)になるだろうという意識が芽生えてきて、歌手になるのか俳優になるのかも分からず。『俳優になれば歌も出せるんじゃない』って母に言われて。その時に自分の中で決まったんです、とりあえず女優」と、明かした。番組の取材によると、母の照子さんは終戦後、隠岐で作られた青年団で芝居を披露していた。十八番は、侠客や芸人が各地を旅する人情劇・股旅もので、踊りも達者。当時の写真も公開され、照子さんの芝居を知る女性は、「照子さん、ここらで1番ぐらいだったもんなぁ、立ち振る舞いから違うわけだからな」「この辺の人は美佐子さんの名前が出たら照子さんの娘だって。お母さんの影響で女優さんになったんだと思って」と振り返った。照子さんは、田中の決めた道を常に応援してくれていたという。このVTRをスタジオで見ていた田中は「なに、(母は)役者だったってこと?知らなかったです。えー、ちょっと待って、ウソ!?」と動揺した様子。母から聞かされたことはなかったとし、感涙した。「女優としての母の写真?見たことないです。お母さんが女優やっているのなんてビックリ。1番のビックリは母が女優をやっていたという」と重ねた。「私がなぜ女優を選んだのか、勝手にお告げをもらったような気がしていたんですが、こういうつながりがあったから私、今ここにいるんだなって」と、感慨深げに話していた。

息子が帰ってきたのは、9時半過ぎ。コンビニのアルバイトに行っていたようだった。残しておいたローストビーフと味噌汁を全部平らげた。