from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

映画『MINAMATA ミナマタ』と『由宇子の天秤』を観た

4時過ぎに目が醒め、トイレに行って、寝直し。

まだ7時頃かと思い、起きて、時計を見たら、8時半だった。

バナナと牛乳で朝ご飯を食べながら、テレビ。

TBSラジオ『たまむすび』で町山さんが映画『由宇子の天秤』『MINAMATA ミナマタ』を紹介していたので、どこの映画館でやっているのか、探してみた。『由宇子の天秤』は渋谷のユーロ・スペース、『MINAMATA ミナマタ』は吉祥寺プラザで見られるとわかったので、11時半過ぎにうちを出た。

吉祥寺駅前の駐輪場に自転車を置き、吉祥寺プラザへ。12時前に着いてチケットを買って、入口を入ると、入場待ちの列。5分ほど待って、劇場に入ると、20人ぐらいの観客だった。

水俣病のことをしばらく忘れていた。高校の修学旅行が九州一周で、バスが水俣を通過するとき、ここがそうなのかと思って、窓から街の様子を覗き込んだことをよく覚えている。就職してからは、ときどきやっていた写真展を見に行ったりしていた。
ロバート・キャパなどとともに、写真家ユージーン・スミスの写真は知っていたが、人物としてはよく知らなかった。
ユージーン・スミスが日系人のアイリーンさんを伴って、熊本にやってきたのは、私が就職した年の1971年。その当時、ユージーン・スミスはほとんど仕事をせずに、アルコール・薬物中毒で、無一文に近かったらしい。
水俣のシーンは、セルビア・モンテネグロで撮影されたようで、日本人が見たら、非常に違和感を持つ。大人は日本人を集めたらしいが、一部の子どもは日本人に見えない。
この映画、『一方で、映画によって地域の印象が再び悪くなることを懸念する声がある。上映会とは距離を置いてきたという商店主は、「正直なところ、水俣病のことは、そっとしておいてほしい」と明かした。上映会は熊本県が後援する一方、水俣市は「映画の中身がわからない」などとして後援を見送った。関係者は「今も加害者と被害者が共存する街。どちらかの立場に立つような誤解を生みたくなかったのでは」。地元の50代男性は「水俣病にまつわる色んな立場の溝を埋めていこうという取り組みが何十年も続いてきた。そうしたところまで表現してもらいたかったが、マインド(意識)を昔の水俣に逆戻りさせるような終わり方に見えた」と語った。』と朝日新聞にある。原発利権と同じような構造だ。
吉祥寺プラザを出て、井の頭線で渋谷に移動。
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久しぶりの人出は新型コロナ前の8割ぐらい。ラーメン屋でシンプルなラーメンを食べた。
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ラーメン屋を出て、まだ時間があったが、とりあえず、ユーロ・スペースに向かった。1階に喫茶スペースがあったので、ジンジャーエールを飲みながら、『若冲』を読んだ。
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2時頃に3階のユーロ・スペースへ。2時10分頃に劇場内に入ると、満席になった。
『由宇子の天秤』は、ドキュメンタリーディレクター由宇子の行動をドキュメンタリー風に撮った映画。真実を追い求める由宇子だったが、自分に起きたことについては真実を隠そうとする。ドキュメンタリーって作られていると改めて思う。正直に生きることも難しいと思う。高崎駅前かと思って見ていたら、エンドロールで高崎市が支援していた。
7時過ぎに帰ってきたら、息子の食べカスが食卓に放置してあった。
軽く食べながら、町山さんらの解説付きで、『ブルース・ブラザーズ』を観た。『サタデー・ナイト・ライブ』などの話が出てきたり、シカゴに行ったのが『ブルース・ブラザーズ』が制作されていた頃だったので、懐かしかった。