from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

安田純平さんの話を聴いた

6時に起床。

ポトフを温め、朝ごはん。

7時に息子に「今日も冬期講習に行くんだよね」と声がけ。「お金」と言う声を聴きながら、うちを出た。

自転車で駅に向かった。今朝は大して寒くなかった。

いつもの電車に乗り、今日も「サピエンス全史」を読んで過ごした。

駅を出ると、よく晴れていた。

f:id:samso:20181218235901j:image

8時前に会社に着いて、コーヒーを飲みながら、「サピエンス全史」。

今日は午前も午後も眠く、何回も立った。

5時40分過ぎに会社を出た。

駅を出て、駅前でとんかつ定食を食べ、講演会場に向かった。

6時45分頃に会場に着くと、いつも机があるのに席だけで、いつもの倍以上の席があった。講演前に180席用意したと説明があった。

7時過ぎに関野さんと安田純平さんが会場に入ってきた。すぐに「お帰りなさい」と声がかかった。関野さんの話の後、安田さんの話が始まった。囚われていて死を覚悟したときに過去が走馬灯のように蘇ってきて、あのときああすれば良かったと後悔することが多かったという話から、なぜジャーナリストになったかと言う話に。大学生のときにユーコン川に行ったときに、子どものときに遊んでいた近所が自然に恵まれていたと気がつき、そこに行ってみると、その自然がほとんど残ってなかった。子どもの頃から環境が変わっていったはずなのに何も見てこなかったと思い、世の中の変化を調べ、知らせるような仕事がしたいと思い、新聞記者になった。社会面の取材をしているときに、911が起こって、新聞記者を辞め、イラクに行って取材した。当時イラク戦争前で入国しやすかった。イラクでスパイ容疑で武装勢力に3日間拘束された。そのとき日本政府が身代金を支払ったという噂があったが、そんな事実はなかった。その後、ベイルートからシリアに取材に行ったが戻れず、トルコに密入国した。それで2年間トルコに入ることができなかったが、2015年6月にシリアで取材できる手はずができ、トルコからシリアに入ったが、予定外のことが生じて、武装勢力に拘束されてしまった。身代金目的での拘束になったが、日本政府が身代金を払うことはなく、開放されると思っていたが、拘束されていた場所で取材活動を始めたら、それがスパイ行為とみなされ、長期の拘束となった。最初は待遇が良かったが、疑われてから、待遇が悪くなり、虐待を受けた。イスラム教に入信し、イスラムの教えを使って開放を仕向けたがなかなかうまくいかなったが、殺してくれと訴えてようやく開放された。身代金が支払われたといわれているが、いくつかの事実から、それはないと思っていると。

f:id:samso:20181218235828j:image

f:id:samso:20181218235837j:image

9時半前に講演が終わり、帰宅。息子はいなかったが、しばらくして帰ってきた。体育館にバスケをしに行っていた。今日やっと物理の再テストに合格したと。