from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

鴨がいた

6時に起床。

昨日の夕飯の残りを温め、朝ご飯。

7時前に息子に起きるよう声がけをしてから、うちを出た。

今朝はそれなりに寒かった。

電車が着く前にホームに着いて、電車を待った。座って、「銃・病原菌・鉄」。

駅を出て神田上水沿いに行くと、鴨が。

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会社に8時前に着いて、どら焼き食べて、「銃・病原菌・鉄」。

5時40分過ぎに会社を出た。いつも通り、寒かった。

電車に乗っていると、妻から電話。今日は姪っ子と知り合いのうちに泊まりに行く予定だったが、疲れたので行かないことにした。夕飯は息子とパスタハウスに行くと。

7時前に帰宅。妻が作ったチンジャオロースと麻婆豆腐で夕飯を食べていると、息子が帰ってきた。サッカーボールをうちに入れると、これからパスタハウスに行くと言って、出て行った。

8時過ぎに二人が帰ってきた。

ジャレド・ダイアモンド著「昨日までの世界」を読む。

旧約聖書は、異教徒に対して残忍であれという説教に満ちており、「申命記」第二〇章一〇節から一八節などは、ユダヤ人に向けて説かれた虐殺の義務である―ひとつの町へ進んでいって、それを攻めようとするとき、もしその町が穏やかに降伏するときは、そこにいるすべての民を奴隷にしなければならない。降伏しないときは、そのうちの男を皆殺しにしなければならない。ただし女、子どもは奴隷にし、家畜およびすべて町のうちにあるものは略奪しなければならない。。しかし、もしその町が、カナン人ヒッタイト人、あるいは、その他の憎むべき神を信じるものであれば、民はみな滅ぼし、あなたの神、主が命じられたとおりにしなければならない。また、ヨシュア記は、ヨシュアが神の命令にしたがい、四〇〇以上の町々のすべての民を殺戮し、ヨシュアがいかにして英雄になったかを褒め讃えるがごとく記述されている。ラビの教えをおさめた文書群タルムードは、「(汝の神を信ずる者は)殺してはならない」と「(他の神を信ずる者は)殺さねばならない」というふたつの律法の矛盾について言及している。たとえば、つぎのような解説もみられる―ユダヤ人が同胞ユダヤ人を故意に殺した場合は、そのユダヤ人は殺人罪で有罪である。また、ユダヤ人がユダヤ人ない人物を故意に殺した場合は無罪である。そして、ユダヤ人が、九人のユダヤ人とひとりの異教徒からなる集団に石を投げ、ユダヤ人をひとり殺した場合も無罪である(異教徒を狙って石を投げたかもしれないからである)。

公正を期すならば、異教徒に対して残忍であれという説教は、新約聖書よりも、旧約聖書により顕著にみられるものである。新約聖書では、少なくとも理論上は、自己と他者との関係性において道徳的規範はどうあるべきかが論じられているからである。しかし現実には、人類史上もっとも大規模な虐殺がみられたのは、植民地主義に走ったヨーロッパのキリスト教徒が非ヨーロッパ人に対しておこなった侵略の時代である。そしてそのときは、旧約聖書のみならず新約聖書にももとづき、キリスト教徒は道徳的な正当化をおこなったのである。

11時半過ぎにに寝た。