from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

なんか何もかもうまくいかなくなってきた

samso2015-05-09

出勤日で、6時に起床。
朝ごはんを食べ、支度をしていると、息子が起きて来た。
友だちと走ってくると言って、出て行った。
7時頃にうちを出た。上着がいらない天気だった。
ちょっと汗をかいて、会社に到着。
仕事の前にメールを見ると、妻から「説明」というタイトルが来ていた。
昼休みに弁当を買いに出たときは曇り空だった。
半休を取り、2時頃に会社を出た。
3時前に帰宅すると、息子は友だち二人とリビングにいて、テレビを見ながら、試験勉強
をやっていた。「早く帰ってくるとは思わなかった」と言いながら、三人は息子の部屋に篭った。
6時前に「そろそろ解散」と声を掛けた。10分ほどしてから、三人は部屋を出て、外に行った。息子はしばらして戻ってきた。
夕飯前に部屋を片付けるように言った。片付けていたと思ったら、トイレ。
外食しようと思っていたが、なかなか出て来ないので、行く気が失せた。
息子はトイレから出てきてから、ラーメンを作って、夕飯。
夕飯を食べ終わると、息子はまたトイレ。トイレから出てきて、勉強が間に合わないと言いながら、ちょっとやっては飽きて、ブラブラ。
妻にメールの返事を書いた後に、妻から電話があり、メールが文字化けして読めないと言ってきた。最後メールしても結果は同じだから、別のメールアドレスに送ってと。また返事が来たが、よくわからない内容だった。
11時過ぎに息子は「おやすみ」と言って寝に行った。
重松清著「さつき断景」を読み終えた。阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件に絡めて、タカユキとヤマグチさんとアサダ氏の日常を描いて、あの時代を浮かび上がらせる作品。何か三家族を結びつけるような結末があるのかと思って、読み進めたが、何もなかった。あの時代は山梨県に住んでいて、比較的大きな企業に務めていて、割りと順調だった。阪神・淡路大震災は、ボランティアに行くこともなく、翌年に長田区に行って、復興途中の町を見ただけ。オオム真理教のサティアンが山梨の上九一色村にあったこともあり、地下鉄サリン事件は人事ではなく、興味を持って事件の推移を見守ったが、オオム真理教のことを理解しようとした学者らが必要以上にバッシングされ、嫌な感じを持ったことを思い出した。たまごっちは会社の同僚がやっているのをチラッと見ただけ。あまり興味を持たなかった。今はあの時より、かなり落ち込んだ状況にある。
12時過ぎに音がするので見に行くと、歯磨きをしていた。