7時頃に起床。
ニュースを見ながら、朝ごはん。
8時過ぎに息子を起こしに行った。「映画を一緒に見に行くなら、起きて」と声を掛けるが、「まだ」。洗濯物を干して、もう一度声をかけるが起きなかった。
9時前にうちを出た。「新宿シネマカリテ」がある建物に9時20分過ぎ到着すると、5名ほど並んでいた。
20分ほど待ってようやく館内の受付前まで行って、待っていると、システムトラブルで席の予約できなくなったからしばらく待ってくれと言われた。なかなか回復せず、受付の人が座席番号を手で書き始めた。先に上映が始まる「ホワイト・ゴッド」という映画の受付が先に始まり、その映画の上映が始まってからようやく受付。その矢先にシステムが回復したと言われ、無事チケットを買うことができた。
それから先に10分ほど待って、ようやく劇場に入れた。ずっと立っていたので、映画を観る前にちょっと疲れた。
映画は、1998年にツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアをW制覇したイタリア人パンターニのドキュメンタリー。パンターニ以降W制覇したロードレーサーはいない。今年は、ジロ・デ・イタリアを制覇したスペイン人コンタドールがW制覇に挑戦したが、ツール・ド・フランスは5位だった。
パンターニが山岳のスペシャリストとして頭角を現してきた頃からのシーンから始まり、子どもの頃にお母さんの自転車で他の子ども達と競争して勝ったことからロードレースにのめり込んでいって、プロレーサーになった。山岳での登りも下りも速かった。レース中にコースを逆走してきた警察の車にはねられ、複雑骨折でレーサー復帰は無理と言われながら、1年後に完全復活して、ツール・ド・フランスでステージ優勝し、その翌年にW制覇。ところが1999年のジロ・デ・イタリアでイタリアが独自で行った抜き打ちのメディカルチェックでヘマトクリット値が基準値を超え、出場停止となってしまう。それ以降、ドーピング疑惑でそれほど活躍できなくなり、ノイローゼに陥っていた2004年にホテルで死亡。当初は自殺とされていたが、殺人の疑惑もあるらしい。マフィアがブックメーカーを運営していて、パンターニが勝つと大損をするから、ドーピング疑惑に陥れたという噂もある。
あの頃は、本人の意志だけではなく、スポンサーにチーム力をアピールするために、選手にドーピングを強要していた疑惑もあると、この映画では示唆していた。
見終わって、ちょっと気が重くなる映画だった。
三鷹駅で焼き鳥弁当とチョコクロワッサンを買って、1時前に帰宅。息子は起きていたが、まだ朝ごはんを食べていなかった。息子が朝ごはんを食べている間に、昼ごはん。
すごく天気が良かったので、早く外で遊んでくるように言うが、息子は動こうとしなかった。
ようやくのこと出て行ったが、30分ほどで戻ってきた。何で帰ってきたのかと尋ねると、友だちに連絡するためと答えたが、テレビを見始めた。ずっと友だちに連絡をすることもなく、ゴロゴロしているので、また外に行くように言うと、出て行った。
4時頃に外に出ると、マンションの中庭で息子がサッカーボールでリフティングをしていた。図書館に行った。
夕飯の食材を買い、5時過ぎに帰宅すると、息子はうちにいて、テレビを見ていた。
6時半過ぎに焼肉で夕飯。息子はしっかり食べ、まだ肉が足りないと。
夕飯後も、息子はテレビ。