from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

一日暖かかったようだ

samso2013-02-07

目が醒め、時計を見たら、まだ3時半前。
寝直して、5時半過ぎに起きた。
朝ごはんの支度をしていると、息子が起きて、トイレに行った。戻ってくるとまた布団に戻った。6時半過ぎに起きるように言った。
6時40分過ぎにうちを出た。外は曇りで、3℃ぐらいの気温だった。
昼間は晴れ、最高気温は11℃だった。
5時半前に会社をでたときも10℃ぐらいの気温で寒くはなかった。
スーパーに寄って、6時40分頃に帰宅。
夕飯の支度がほぼ終わりかけた頃、息子が塾から帰ってきた。
夕飯時に息子は妻とスカイプ。夕飯のハンバーグは2個しっかり食べた。
夕飯後はゴロゴロして、8時半過ぎにようやく宿題を始めた。
シャワーを浴びて出てくると、もうゴロゴロに戻っていて、「宿題終わった」と。
息子は、9時半過ぎに寝た。

スポニチ『「東電、虚偽説明で妨害」 元国会事故調委員が批判』

東京電力福島第1原発事故をめぐり、国会が設置した事故調査委員会が昨年3月、1号機原子炉建屋内で地震による重要設備の損傷の有無を調べようとした際、東電側が「現場は真っ暗」などと事実とは異なる説明をしたため、調査断念につながっていたことが7日、分かった。
東電と当時、やりとりした科学ジャーナリスト田中三彦元委員は「虚偽説明で調査を妨害された」として7日、衆参両院議長らに、非常用復水器(IC)と呼ばれる重要設備の調査を文書で要請した。
田中氏は記者会見を開き「暗闇の中では危険と考え、調査をあきらめた。東電は国会を愚弄した」と批判。「(調査が実施され)地震による損傷が見つかれば耐震基準を見直すなどの影響が出るだろう」と述べた。
東電は「現場の危険な状況を説明する中で誤りがあった。意図的に虚偽の説明をしたわけではない」と釈明している。
国会事故調の報告書によると、2011年3月11日に原発津波に襲われる前、ICのある1号機4階で水漏れを目撃した作業員が複数いた。事故調は「地震でICや関連配管が壊れた可能性がある」と判断、現地調査を12年3月に実施したいと東電に申し入れた。
田中氏によると、2月28日に東電担当者が田中氏らを訪問し「1号機には建屋カバーがかかり、照明もない。パニックを起こしかねないほど真っ暗。作業員の被ばくを避けるため同行はできない」と説明した。
しかし実際にはカバーを通して日の光が入り、既に水銀灯も設置されて使用可能な状態だった。
ICは原子炉の蒸気を水に変え、炉に戻して冷やすための重要設備。1号機にだけ設置されており、地震後に自動起動したが、運転員が手動で止めたとされる。