from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

映画『ANPO』とSCOTの『酒神 ディオニュソス』を観に行った

samso2010-12-24

5時過ぎに起床。
今日は終業式で早く帰ってくる息子の弁当を作ってから、朝ごはん。
ちょっと早めに出たら、いつもより1本早いバスに乗れた。休んでいる人が多いのか、ガラガラだった。電車も1本早いのに乗れて、会社には10分早く着いた。
半休をとって、12時過ぎに会社を出た。帰り道、うちに電話をするが応答がなかった。
帰宅すると、息子が帰っていて、作っておいた弁当を食べ終わっていた。「帰ってくるの遅かったね」と言うと「持って帰るにもつが重かったから」。「通知表は?」「下がった」「見せて」。見つからず、「学校に忘れてきた」。「取りに行ってくる」と言って、うちを出て行った。息子が帰ってこない間に、K君がやってきた。息子が学校に言ったというと、「N君に電話して」と。N君のうちに電話するが出なかった。K君は出て行った。しばらくして、息子がK君と一緒に帰ってきた。通知表を見ると、国語、算数、理科のすべてで成績が下がっていた。
息子たちは友だちのうちに行ってゲームをやるようだった。夕飯の用意をし、5時にうちに帰ってくるように行って、うちを出た。下でN君と会った。
ドキュメンタリー映画「ANPO」を東京でやるのは今日が最後だというので、渋谷のアップリンクへ。60年安保闘争を中心に反戦をテーマにした作品を作ってきたアーティストの作品と語り。中村宏さんの語りは強烈な作品と本人が結びつかないようなまったく気負いがない。石内都さんは横須賀の米海軍基地周辺で育ち、戦争をテーマにした写真を撮りづけていることを淡々と話す。60年安保闘争の映像は、政府に立ち向かう国民全体の闘争であったことがみてとれる。日本にもかつてはあんなエネルギーがあったんだ。見終わった後で、緒形拳主演のテレビドラマ「豆腐屋の四季」を思い出した。
 
吉祥寺に戻り、本屋に行って、息子のクリスマスプレゼントを買った。うちに電話するが息子はでなかった。
そのあと、ラーメン屋で味噌ラーメンを食べ、吉祥寺シアターでSCOTの『酒神 ディオニュソス』を観に行った。客層は年配と演劇に興味がある若者。舞台には椅子が5脚置いてあった。7時過ぎに照明が消え、始まった。厳かさを醸しだす照明の中、5人の僧侶が摺り足で現われた。そのあと、ペンテウスの祖父カドモスが出てきて、テーバイの町におけるディオニュソス教の広がりについて語る。カドモスが消えると、ペンテウスが現れ、ディオニュソス教に狂う女性たちを嘆く。
ディオニュソス教を受け入れようとしないペンテウスがディオニュソス教の僧侶に唆され、その信女たちの様子を見に行って殺される。その信女の一人だったペンテウスの母が戦利品として持ち帰った首が父から息子の首だと知らされ、苦悶する。能を思わせる立ち居振る舞い、お経の唱和のように聴こえるセリフ、衣装も日本的要素がいっぱい。剣は日本刀。声は鍛えられているので、比較的聞き取りやすかった。ペンテウスが僧侶というかディオニュソスと戦っている間にペンテウスが変質してまうが、その理由が納得いかなった。あと、信女たちの踊りが何の意味があるのかわからなった。劇は1時間ちょっとで終わって、帰ろうとしたら、鈴木忠志氏が舞台に出てきて、Q&Aコーナーが始まった。質問に答えるかたちではあったが、内容は演劇論だった。演劇をやりたいのではなく、演劇を通して社会に何かを訴えることが目的。会話は関係性が重要。なぜ、シェークスピアやギリシャ悲劇のようなものをやるのか。ギリシャ悲劇、シェイクスピアチェーホフベケットをできないと、世界では認められない。音楽で言えば、モーツァルトベートーヴェンなどを振れないと指揮者として認められないのと同じ。新劇で海外のものをやるようになったが、翻訳されたセリフを洋人に似せた役者が演じてきた。それではダメだと思い、発声法、演者の動きを研究した。自然に映像でなかなか見れないのはなぜか。映像は撮っているが、出来がよくないものがあって、見せなくない。販売しようとすると、著作権がらみで支払わないといけない金額が半端じゃない。NHKで撮ったものがあるが、体全身を撮って欲しいのにすぐに顔をアップにする。野外でも聴こえるように発声させているので、厳しい顔が写ってしまう。1時間近く経ってようやく終わった。

10時前にうちに帰ったが、まだ二人は帰ってきていなかった。10時半過ぎになってようやく帰ってきた。息子に何をやっていたのかと聞くと、M君のうちに友だち行って、5時に出たが、うちに帰らず、N君のうちにいたと。