from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

姪の結婚式に出席した

samso2009-03-14

起きてホテルの窓の外を見ると雨。湯船にお湯を浸し、お風呂に入った。
8時過ぎにホテルの和食レストランに食事に行った。息子は明太子をご飯にかけて食べ、お代わり。今度は納豆と海苔をご飯にかけたが、半分食べただけで「もういらない」。

部屋に戻っても外出する気がせず、ゴロゴロ。息子は枕で遊んでいた。いつの間にか寝てしまい、起きたのはチェックアウト限界の11時5分前。慌てて支度をした。11時5分に部屋を出て、下に降り、フロントへ。部屋のカードを渡して待っていると、「昨夜お食事をされましたので」と7千円弱の請求書を見せられた。食事を取っていたことを告げると「少々お待ちください」と言って調べ始めた。戻ってきて「間違いでした」と。
結婚式のある別館に移動し、式場の控え室を覗くともう妹たちがいた。クロークに荷物を預け、控え室へ。みんなに会うのは久しぶりで歓談が弾む。息子は退屈で部屋の中をうろうろ。外が晴れてきたのでホテルの外に息子を連れて行くことにした。玄関に向かって歩いていくと新郎新婦が写真を撮ってもらっていた。外は風が強く寒かった。湖岸まで行って、走って戻った。
12時半過ぎに親戚一同チャペルに移動。12時40分から結婚式が始まった。式が終わって、写真撮影室へ。息子が言うことを聞かず、冷や汗。

その後、別の部屋に行って、飲み物をいただきながら披露宴が始まるのを待っているときに息子はジュースをこぼした。
1時半ごろに式場に移動した。主賓の挨拶で披露宴が始まった。新郎が野球で甲子園に行ったことがあるということで野球にまつわるエピソードの話だった。新婦のほうは大学の研究室にいたときの話が中心だった。研究室に入るとときに、卵を立てることが課題に出され、10分ほどかかって新婦が卵を立てたと。
乾杯の後、会食。息子は、お子様ランチ風の食事が気に入らず、ほとんど食べなかった。妻と私のものをつまみ食い。新郎新婦の友だちによる余興などがあり、最後に新婦が両親に向けて手紙を読んだ。母親である妹が泣いているのを見てもらい泣き。3時半過ぎに披露宴は終わった。
弟に車で京阪膳所駅まで送ってもらった。京阪三条まで行って、タクシーで丸山公園内にある宿「吉水」へ。一見民家のような和風旅館だった。ちょっと部屋で休憩してから、旅館の人に聞いた麺類の店に夕食を食べに出かけた。
円山公園内を下っていくと明かりが見えてきて、近づくと人が大勢いた。竹の灯篭が並んでいた。その先に行くと違う形の明かりがあった。何かのイベントなんだと気がついて、ラッキーだねと妻と話していると、イベントのパンフを配っていて、受け取ると「京都東山花灯路2009」と書いてあった。先に歩いていくと、子どもたちが火の用心のお囃子をやっていた。そのあと、生け花をライトアップしたエリアを通って、知恩院まで行った。知恩院もライトアップされていた。



東大路通りまで下って、祇園にあるという麺類の店「おかる」を探した。小路を歩いていくと店が見つかった。店構えが安っぽくて合ってるのか心配しながら、店内に入った。私はカレーうどん、妻は肉うどん、息子はおおざる蕎麦を頼んだ。割と早く出てきたうどんと蕎麦を食べてみたが、美味しかった。満足して店を出た。
八坂神社に向かって歩いていった。鳥居をくぐると、前を歩いていた家族連れの人が「初詣みたいやね」と言ったの聞こえてきた。確かに賑わいの中にいると、大晦日の夜に初詣に向かう気分だった。息子は屋台の鯛焼き屋を見つけると「たべたい」。流行の白鯛焼きも売っていた。
旅館に戻って、みんなでお風呂に入りに行った。旅館の人に案内してもらったときに「天井に柿渋が塗ってあるからちょっとにおいがします」と言っていたが、確かに風呂場に入ると懐かしい柿渋のにおいが漂っていた。湯船に浸かりながら、昔おじいちゃんが投網を柿渋を浸けていたことを思い出した。
テレビもないので、9時過ぎに寝た。