from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

回復の兆しが見えてきた

朝起きると熱が下がっていた。昨日早く寝たので子どもはすぐに起きると思い、「朝だよ」と声を掛けるが、「まだねむい」と言って起きない。朝食の用意が終わってから、もう一度声を掛けるとようやく起きた。
支度を終え、外に出ると、気温がかなり低かった。10℃もないような感じ。寒気を感じながら、自転車を漕いで保育園へ。
一旦うちに戻って、会社に向かう。今朝もほんの少しご飯を食べただけだったので、フラフラした感じで会社に着いた。昼ご飯も食欲なく、初めて半分残した。午後になるとまた少し熱が出てきたようで、我慢しながら仕事。
定時に会社を出て、保育園に向かう。保育園に着くと、最後の一人だった。食料がなくなりかけていたため、商店街へ。スーパーで買い物をしていると、子どもは「メロンたべたい」と言ってメロンを買い物カゴに投げ込んだ。「今のメロンはまだ美味しくないから買わない」と言って戻しに行くと、怒って外に行ってしまった。果物屋の前に行くと今度は「サクランボウ食べたい」「今のは高くて美味しくない。その代わり、イチゴを買ってあげる」と言うとふて腐れて自転車の所に走って、ペダルをくるくる回した。
うちに戻ると子どもが「おなかすいた」。すぐに夕飯を作った。子どもはよく食べたが、私自身は食欲がまだなく、舌も変なようだったが、少しは食べた。保育園の連絡帳を見ると、「丸太登りにチャレンジ!最初はなかなか登れず、木がツルツルだからだよ!と木のせいに…。でも登れるようになりました!がんばった!」とあった。
子どもと一緒に9時寝た。
2時頃目が覚め、久しぶりに深夜番組を見た。テレビを点けると茂木健一郎さんが出ていて、古田貴之さんという人型ロボットの研究者と対談していた。「プロフェッショナル 仕事の流儀」の再放送かと思いきや「R30」という番組だった。仕事の流儀より、こっちの茂木さんの方がキャラが出ていた。古田貴之さんは、中学生のときに脊髄の病気で車椅子生活をしていて、同じ病室にいた人が血を吐き壮絶な死を遂げたのを見て、気持ちを切り替え前向きに生きるようになった。努力の結果、奇跡的に歩けるようになり、ロボットの研究に没頭するようになった。一番研究に没頭していたときは、1カ月に10時間しか寝ないこともあったと。人間が乗ることができる脚椅子ロボットを作ることが夢だそうだ。茂木さんが「脚椅子ロボットができたら、誰を最初に乗せたいですか?」と聞くと「自分ですね」と答えていた。
チャンネルを変えると「BS世界のドキュメンタリー「欧米が見た中国」−“自由”と“民主主義”」という番組をやっていた。中国のカトリック信者の話やチベットのこと、住民と警察官の間で暴動が起きた太石村とかの話。

80年代後半に僧侶の弾圧があったチベット自治区では、それ以後、漢民族化が進み、特徴のあった町並みが大幅に変わってしまった。僧呂には、ダライ・ラマへの非難文とチベットが中国領であることを記した文書への署名が義務付けられており、学生と公務員は、特定の宗教に属することを禁じられている。チベット民族出身の副省長は、「ダライ・ラマは人々の信頼に足る人物ではない」と公然と語り、「国家を分裂させる宗教は違法だ」と説明する。
中国ではこれまで、人権侵害や環境・医療問題など、政府にとって都合の悪い内容が記事になることは希であったが、南部の広東省では、雑誌「南風窓」が汚職や劣悪な労働環境エイズSARSなどについて報道して、部数を伸ばしている。ここでメディアに取り上げられたことで、政府もエイズ対策に乗り出さざるを得なくなった。
そうした一方で、人権を守る司法の独立は十分機能しているとはいえず、地方都市では、重要な案件は裁判所より先に党幹部の元に上げられ、裁判の前に判決が決まっているケースも少なくない。そのため、理不尽な行政命令や汚職に不平をもつ市民が、北京に陳情に訪れ、順番待ちの長蛇の列をなしている。汚職の撲滅を国家目標として掲げる中国にとって、司法制度の改革が大きな鍵になると番組は伝えている。