from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

レオナルド・ダ・ヴィンチ展とアースデーに行った

おときさん

子どもがいなくて、ゆっくりした朝。
9時半頃、子どもを迎えに行った。問題なく寝たようだった。今朝起きて、恐竜キングゲキレンジャー仮面ライダーを見たと言いに来た。知り合いの女の子Sちゃんも一緒に行くと言うので、子どもたちを自転車の前と後ろにうちに戻った。すぐ後、子どもと同じ組の友だちM君が母親に連れられてやってきた。隣のS君が熱を出し痙攣を起こし、救急車を呼んだと言うので、外に出ると隣の旦那さんが下の子を抱いて、下にある救急車を見守っていた。今朝急に熱が出て痙攣を起こしたと言う。昨日は元気に走り回っていたのに。しばらくしてSちゃんのお母さんが1歳のUちゃんを連れてやってきた。買い物に出かけるということで妻が預かってやると言ったためだった。
12時前に昨日会った妻の知り合いがもうすぐバス停に着くと言うので、子どもたちを連れて外に出た。子どもたちはバラバラに走っていった。慌てて追いかける。バス停に着くと、うちの子どもとM君はいたが、Sちゃんはいなかった。うちに戻ると、どこに行ったのか分からなくなったから戻ったとSちゃんは言った。
妻と知り合いは餃子の準備を始めたので、Uちゃんを抱っこ。眠いようだが寝かせると泣くので、ずっと抱いたまま、あとで来ると言う妻の知り合いKさんを待つ。12時半が過ぎたので、先に昼食を始めると、Kさんがバス停に到着したと言うので迎えに行く。うちに戻ってすぐ、妻が招待券をもらってきた特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ −天才の実像」を見に出かけた。
上野の国立博物館に着いて、中に入ると30分待ちの看板を持った人がいて誘導していた。絵画「受胎告知」を見るための列だった。並んでいてふと横を見ると、隣にシスターがいた。

20分ほど並んで第1会場の本館に入ると、金属探知をやっていた。会場の中は暗く、「受胎告知」はガラスのケースに収められ、薄く照らされていた。蛇行するように塀が設けられ、絵画の前はロープが張られ、2列で立ち止まれないように誘導されていた。さっと見た限り、ひび割れや色がはげているようなところなく綺麗だった。よく調べずに行ったが、第1会場は「受胎告知」が置いてあるだけだった。
第2会場は平成館。最初は「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」。年表と「受胎告知」「東方三博士の礼拝」「キリストの洗礼」の複製があった。そのあと、《受胎告知》―思索の原点、レオナルドの書斎、「かたち」のとらえ方。「スフォルツァ騎馬像」の模型を見ていると、女の子が「でかすぎるくない?」と隣の友だちに言っていた。レオナルドは色々な分野に興味を持ち、研究し、思索を繰り返した。技術者ではなかったようで、実用的なものはあまり作っていない。万物の「運動」、絵画への結実。レオナルドは、「生涯を通じた思考と探求の結果、あらゆる学術の中で絵画が最上位にあると考えました」とあった。科学的なアプローチを試みたが当時の知見では納得のいく解が得られず、絵画に結実させるしかなかったのかも知れない。

4時過ぎに国立博物館を後にし、代々木のアースデーの会場に行ってみることにした。コンサート会場に行って待っていると、加藤登紀子さんが娘のYaeさんとステージに現れた。元気そうで、楽しそうに、「檸檬」「土に帰る」など唄われていた。次のChina CatsというロックグループのBlow'in the windを聞いて、会場を後にした。