from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

「硫黄島からの手紙」を観た

samso2006-12-16

朝から晴れ。
子どもは7時半頃に起きてきて、何も言わずに目を擦っている。「起きたの?」と聞いても何も言わない。「何?」と言うと「なにって?」。しばらくして、「パトレイバーは?」。「まだやってない」「いまなんじ?」「7時半」。
シルクロード少年ユートを見ていて、「いま、ユートがつまりっていったね」と。「つまり」の使い方を覚えたようだ。「だから」はもう使っている。
朝ご飯を食べ終わると「そとであそびたい。ちゅうおうこうえんいきたい」「パパは風邪引いてるからね。おうちの中で遊んで」「つまんない」。しょうがない、少しだけ付き合ってあげようかと思いながら、ぐずぐずしているうちに、お昼。子どもは自転車に乗って玄関先で待っていた。「ごめん、もう勉強に行く時間になった」「え〜。じゃ、○○くんとこにいってくる」。
12時半過ぎにうちを出た。六本木に着いて、ちょっと時間があったので、コーヒーでも飲んでいこうと思い、Wendy'sに行くと、行列が。カウンターの向こうには3人しか店員がいなかった。10分近く待ってようやく順番が来たと思って、「次の方」の声で前に出て注文しようとすると、行列から離れていた人が戻ってきて、「こちらの方が・・」と言われ、注文せずに、店を出た。
6時にうちに電話すると、知人親子と子どもの友だち親子が来ているから、遅く帰ってきていいと言う。吉祥寺に着いて、映画館に行ってみると、ちょうど「硫黄島からの手紙」が始まるばかりだったので、観ることにした。
日本人が作ったと言ってもいい違和感がない映画だった。日本人の会話シーンなどどのように監督したんだろう。
硫黄島には、2万人を超える兵士がいて、36日間にわたって激しい戦闘があったらしいが、この映画を観ている限りでは、数百人の兵士が穴に立てこもって闘っているようにしか見えなかったし、二、三日で戦闘が終わったように思える内容だった。米軍の方は、海をやってくる大船隊の姿を見せることで、15万人規模の戦力を想像できたが。民家が出てくる場面もあったが、島全体が当時どういう感じだったのかもよく分からなかった。栗林忠道中将は、サムライのごとく描かれていたが、実際はどういう人物だったんだろう。