from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

預言者ムハンマドの風刺漫画(6)

世界2月号「政治的思想空間の現在<前編> 相互依存する多文化主義原理主義」(大澤真幸)から。

今日では、「原理主義」という語は、イスラムの過激派を指して使われる場合が最も多い。しかしイスラム研究者がしばしば指摘しているように、イスラム帝国は、原理主義的であるどころか、本来、宗教的にきわめて寛容であった。たとえば、「啓典の民」(キリスト教徒・ユダヤ教徒)は、人頭税と土地税さえ納めれば、帝国内に一定の地区を与えられ、安全に暮らすことができた。十八世紀末期に、イスタンブールを訪問したイタリア人ビザニは、教会が、シナゴーグとモスクの間に建っているのを見て驚き、こうした宗教的寛容を「マホメッド主義の退廃」のせいではないかと推測している。
つまり、今日、西洋の多文化主義者が、イスラムに結び付けている不寛容こそ、本来は、西欧キリスト教の特徴であり、逆に、今日では西洋が誇る文化的多様性宗教的寛容は、イスラム世界で、原理主義的なものが、いつ、いかにして孕まれたのか。結局、それは、西洋近代が導入されたときであったと見なすほかない。実際、二〇世紀に入ってからイスラム政界で起きた悲惨な民族虐殺―トルコでのアルメニア人虐殺やクルド人弾圧、またイスラムでのクルド人虐殺―は、すべて伝統的なイスラム政権によるものではなく、西洋風の国民国家を目指すナショナリストによるものである。そうだとすれば、イスラム政界の原理主義に、西洋近代の反対物ではなく、西洋近代の真実の姿を見るべきではないか。