from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

秋晴れの一日だった

samso2005-11-19

秋晴れの一日。
買い物ついでに武蔵境駅前でやっていた武蔵野市子育てフェスティバル「あそぼ」に行った。昨日帰りが遅かった妻が起きたのが遅くてうちを出たのは10時半前。フェスティバルのチラシに11時から人形劇をやると書いてあったので、会場のスイングホールに行ってみたが、満員で入れなかった。
それで、工作とかやっているとチラシに書いてあった11階のレインボーサロンを見に行った。入り口を入ると、魚や野菜の名前を当てるコーナーがあった。子どもはサンマと大根はすぐに分かったようだった。妻も鯖と鰯は分からなかった。隣に市内の保育園を紹介しているコーナーがあった。子どもが通っている保育園を探すが見つからない。ないのかもと思いながら1つ1つ見ていった。園児の様子が分かる写真を貼ってあるものがほとんど。1つだけ写真が1枚も貼っていなくて凝った作りのものがあった。どこのだろうと思って園名を探すと、子どもが通っている保育園のものだった。扉を開くと中に園の案内が入っていて、園でよく行く公園の紹介などが書いてあった。
奥に行くと、子どもたちが紙や粘土を使った工作やままごと遊びをやっていた。子どもは牛乳パックを使った独楽に興味があるようだったが、誘ってもやると言わない。紙のさかなを焼いている女性を見ると、子どもの保育園の先生だった。話をしに行って、このフェスティバルのことを聞くと、市内の保育園の先生たちがスタッフで開催されたものだとのことだった。7月頃から準備を始められたそうだ。子どもたちが作ったものも飾ってあるというので見に行くと、うちの子どもの名前が書いたものもあった。しばらくして会場の雰囲気に慣れてきたようで、子どもは魚釣りごっこをやって先生に釣った紙の魚を焼いてもらったあと、ようやく独楽を作ると言い出した。牛乳パックで作った十字の独楽にマジックで色を塗り、棒を刺すだけであったが、妻に塗らせて自分で塗ろうとしない。それでいて色々注文をつけていた。結局子どもはちょこっと色を塗っただけで完成。子どもが回してもよく回る独楽だった。子どもの名前を呼ぶ声がしたので振り返ると、子どもの担任の保育士さんだった。手伝いに来たという。
午後も人形劇があるというので、もう一度来ることにして、イトーヨーカドーに行った。3階の子供服売り場に行ったら、子どもは一人でオモチャ売り場に行ってオモチャを物色し、大型のバスがほしいと言ってきた。ダメだという泣き出した。子どものズボンを買ってから、1階にあるという手袋売り場に行っても泣いたまま。マジレンジャーの手袋を見せても泣き止まない。泣いたままの子どもを抱っこして、西館の地下へ行って食事。午後の人形劇の整理券を配る1時になったので、一人でレインボーサロンへ。1階にいた係の人に整理券のことを聞いてみると、お友達の分も持って行く人がいるからもうかなり少ないかもと言われ、11階へ行った。まだ整理券は残っていて、並んで整理券をもらってイトーヨーカドーに戻った。
買い物をしてから、スイングホールに行くともう席はほとんど埋まっていて、後ろの方にあった2席に座るとすぐに始まった。人形劇の準備ができる間、「おべんとうばこのうた」をみんなで合唱。準備が終わって人形劇団ポポロによる人形劇「かえるとうし」が始まった。始まってしばらくするといつのまにかウトウト。子どもが膝の上に座りたいと言ってきて目を覚ます。あかあさんかえるのお腹が膨らんでいた。もっともっと大きかったよと子どもかえるが言うともっと膨らんで最後にパ〜ンと弾けた。かなり大きな音がしたので泣く子がいるかと思ったが、そうでもなかった。子どもはそこそこ楽しんだようだったが、早く出たがった。
妻がお隣に何かお礼をするために買い物に行くというので、マックで待つことに。子どもはハッピーセットで「バズ・ライトイヤー」を選んだ。インド人宅のビデオで見てバズを知っていた。
帰ってきてから、妻は昼寝をするというので、図書館に返す本を持って、自転車で子どもを連れて緑町コミセンの文化祭を見に行った。保育園の子どもたちが作った作品が展示してあり、園長先生と保育士さんたちがいた。うちの子どもの名前が書いてあるモノもあったので、どれか聞くとちゃんと自分が作ったモノを指さした。先生に挨拶をしたあと、コミセンを出て、図書館に向かった。子どもは相変わらず乗り物関連の本ばかりを借りた。
うちに戻ってきて、子どもをうちに置いて、眼鏡が出かけた。三鷹駅近くの眼鏡店に入って、遠近両用の眼鏡を買い求めた。老眼が進んできたようで、遠方を見ながら、時々メモを取ろうとすると書いている文字が霞んで何を書いているのか判別できなくってきた。遠近両用眼鏡は中間が見にくい。パソコンの画面を見るときは眼鏡を外した方が良さそうだ。
帰りにビデオ屋に寄って、「海を飛ぶ夢」というDVDを借りてきた。
夕ご飯の後、DVDをパソコンにセットしてテレビ画面に見ようとして、パソコン画面の解像度などを調整している間に、パコソンがDVDを認識しなくなった。試しに他のDVDは認識するか試すとOK。諦めて予備のパソコンで見ることにしたが、予備のパソコンは端子形状が違うのでテレビに接続できず、小さい画面で見る羽目になった。
20数年間四肢麻痺の障害で寝たきりになったラモンという男性が尊厳死を選ぶという実在の話をベースにしたスペインの映画だった。子どもが何回も邪魔をしにきたので、集中してみるとことはできなかったが、興味深い映画だった。家族の愛情に支えられて生きながらえながら、生きていることは自分にとって権利ではなくて、義務になっているとラモンは言う。その言葉に無理を感じない映画だった。
スペインのニュース」から。

事故で全身不随となり、29年間寝たきりの生活を送りながら尊厳死の自由を訴え続けたラモン・サンペドロ氏の自殺を幇助したのは自分だと、同氏の友人、ラモナ・モネイロ氏(44才)が告白、波紋を広げている。モネイロ氏はテレ5の番組「エル・プログラマ・デ・アナ・ロサ」に出演し、「彼(サンペドロ氏)が言うとおりの分量の水を入れたコップとシアン化物を用意して、ストローを彼が好きな位置に置き、カメラの後ろに回った」と話した。サンペドロ氏は死ぬ場面をビデオに撮影するよう希望し、彼が自分の意志で尊厳死することを話した上でコップの毒を飲み干した。「愛のために」死の手助けをしたと言うモネイロ氏は、「私はコップを置いた唯一の人物で、悪役。でも気にしないわ」と語った。同氏は1998年、サンペドロ氏自殺の直後に警察で事情聴取されたが、起訴されずに終わっている。

子どもはプラレールで遊んでいたが、新幹線が止まったので様子を見に行くと、レールの側で寝ていた。