from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

巴金死去

先日、妻に中国で有名な作家が亡くなったと言われた。巴金というまったく知らない人だった。
JMM『「真実の人」:現地メディアに見る中国社会』から。

日本のメディアが「アジア外交への影響必至」という危機的なタイトルをつけて報道した小泉首相の今回の靖国参拝は、同じ日に中国の有人飛行船が地上に帰還するという国家的大ニュースがあったこともあるが、それでもメディアでは日本のそれと比べて拍子抜けするくらい低調な扱いだった。最初はそれに対して「頑固な小泉さんにもう中国政府もあきれてモノもいえなくなっているんだろうか」とまで思った。たぶん、それはあたらずとも遠からずだろうが、靖国参拝を抑えた有人飛行成功ニュースに続くビッグニュースは上海在住の作家、巴金死去のニュースだった。
101歳の寿命を全うした巴金は1904年、清代に地方地主の家に生まれた。ここからも分かるように、彼は封建時代から近代中国、社会主義国の成立、そして「社会主義市場経済」を進める中国の激動の一世紀を生き、日本でも著名な魯迅郭沫若らとともに「魯郭茅(茅盾)巴(巴金)老(老舎)曹(曹禺)」と呼ばれ、文学史だけではなく中国社会史にもその足跡を残した人物である。
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「もう95歳まで生きた。もし思考を続けることが出来るなら、トルストイにならって真実を語りたいと思う」(「巴金:誤読され、また尊重されたもの」中国新聞週刊・10月24日号)
1998年冬、最後となったメディアとの接触の場で、巴金はこう語ったそうだ。この「真実を語る」というのは、78年から書き始め、香港の新聞に連載されたエッセイ『随筆録』でたびたび彼が触れている言葉である。彼の追悼記事に最も多く用いられたのがこの「真実」という言葉で、「真実の人」「良心の人」と形容された。
巴金は中華人民共和国建国後、作家協会副主席などの要職を務めたが、66年には社会的大動乱、文化大革命文革)が起こり、既得権者を転覆させることを目的に仕組まれたその政治権力闘争で批判され、11年もの間不遇の日々を送った。
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「今、自分がこの10年間に行ったこと、そして他人が行ったことを振り返ってみると、それをどう理解してよいのか分からない。わたしはまるで催眠にかかったようにあそこまで幼稚に、あそこまで愚かに、さらには残酷で荒唐無稽なことを厳粛で正確なものと思い込んだ。もし、この10年間の苦難の日々をきちんとまとめ上げ、徹底的に自分を解剖して当時起こったことをきちんと整理しなければ、ある日また状況が一変すれば、わたしはまた催眠にかかってわけもなくまた別の人間になってしまうかもしれないと思うのだ。なんと恐ろしいことだろう!」(巴金『随想録』)