from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

教育委員会不要論

教職員の給与より先に手をつけないといけないのは、役に立っているとは思えない文科省そのものと教育委員会なのではないのか。
衆議院文部科学委員会(平成17年03月11日)での質疑から。

○中山国務大臣 地方における教育行政につきましては、教育の中立性、継続性、安定性の確保、さらには、多様な民意の反映を図るために、首長から独立した合議制の執行機関として教育委員会が設けられて、公立学校の設置管理などを直接担当しております。一方、首長は、私立学校や大学に関する事務を担当するほか、教育委員の任命や、教育に関する財政的権限を通じて、間接的に教育委員会の行う教育行政に関与しているところでございます。
 このような制度になっておりますので、教育委員会と首長がそれぞれの役割を果たしながら、調和のとれた教育行政を進めていくことが重要であると考えているわけでございまして、仮に首長の選挙公約と従来の教育施策が異なった場合、先ほど御指摘がありましたが、そういうときには、選挙を通じて示された住民の意向をいかに反映するか、それから教育の安定性、継続性をいかに確保するか、この双方を考慮しながら、教育委員会が首長と連携しながら教育改革を進めていくべきものである、このように考えておるところでございます。

○高井委員 私もさまざまな調査や文科省の分科会の方の資料も読みまして、教育委員会制度は、大多数のところがうまくいっている、賛同を得られているところもございます。
 ただ、こういうケースがこれから起きてくる可能性もあるし、指摘の中には、教育委員会が形骸化しているのではないかとか責任の所在があいまいではないかなど、一部の自治体から教育委員会不要論も出てきているというのもある意味で事実でございます。不要までとはいかないでも、教育委員会を置くか置かないかは自治体の選択に任せるという必置規定の見直し論というのも出てきているのは確かでございます。
 例えば、島根県出雲市長らが提案しているようでございますが、出雲市長というのは元文部省国際局研究協力室長という肩書をお持ちになられた方だというふうに聞きました。全国首長会の提言にも取り入れられているようでございますが、こういう主張に対しては、どのような御見解でしょうか。

○中山国務大臣 地方分権を進めていく場合、教育委員会というのは、教育行政の責任ある担い手として地域住民の要請に応じた教育行政を主体的に企画し、実行していくことが期待されておると思うわけでございます。一方、この教育委員会制度につきましては、十分に機能しているのか、首長との連携は十分か、あるいは小規模市町村の教育委員会の体制は十分かなどの御指摘がなされていることも承知しているわけでございます。
 これらを踏まえまして、教育委員会のあり方につきましては、今中央教育審議会に諮問いたしまして、教育改革全般のあり方の一環として検討を進めていただいておるところでございまして、必要な改革方策についてしっかり検討してまいりたいと考えております。

○高井委員 例えば埼玉県の志木市が、教育委員会の必置規定を廃止するという特区の申請を平成十五年の十一月に行っています。つまり、地域の実情に応じて教育委員会を廃止して、志木市の場合は、合議制をやめて教育長の権限を強化するということで、教育に対する責任の所在を明確化するとともに、山積みになっている教育課題に迅速に対応するというのが申請の趣旨のようでございますけれども、これに対して文部科学省は、特区としては対応不可というふうに回答した、断り続けていると聞いています。
 私は、むしろ特区こそこういうふうなチャレンジをやってみるに値するのではないか、許可するに値するのではないかと思いますが、文科省がこの特区の申請を却下した理由というのは何でしょうか。

○銭谷政府参考人 御説明申し上げます。
 構造改革特区の提案募集におきまして、今お話がございましたように、埼玉県の志木市から、第三次の提案募集から数次にわたりまして、市長制度の廃止など地方自治制度の全般にわたる提案の一環として、教育委員会の廃止、任意設置についても御提案があったところでございます。
 志木市のこの御提案は、教育委員会を廃止して、代替措置として教育審議会を設けるものとしているわけでございますが、これは執行に関する権限を持たない諮問機関でございまして、結果的には、教育行政を独任制の機関で行うという御提案であると承知をいたしております。
 教育におきましては、その中立性の確保は極めて重要でございまして、教育委員会は、教育の中立性、安定性、継続性を確保するとともに、多様な民意を反映するため首長から独立した合議制の執行機関として設けられているものでございます。
 したがいまして、文部科学省といたしましては、志木市の御提案は、教育の中立性を確保しながら多様な民意を反映するとの教育委員会制度の趣旨を確保することが困難ではないか、こういうふうに考えまして、志木市特区提案については対応することは困難という回答を申し上げているところでございます。

○高井委員 教育の中立性が確保されないという見解に対しても、志木市の側としては、教育行政の根幹をつかさどる文科省自身も、政治的背景を持つ大臣が意思決定権限者であることを考えれば論理矛盾ではないかというふうに反論もあります。
 教育の中立性、安定性、継続性と地方には言いますが、国の方では政治的に中立ではない大臣の発言によって教育の現場が大きく左右される、変わっていくというわけでございますから、非常にある意味で論理矛盾、これについても、地方分権ということでいけば、やはりひとつチャレンジとして認めてみるのはいいのではないかと考えます。
 大臣、去年からことしにかけていろいろな、私も報道でしかわかりませんけれども、自虐史観に立った教育だけはしてはいけないとか、自虐的な教科書がいっぱいあるというふうなこともマスコミに対してお語りになられているようでございますが、ことしに入ってもいろいろな、さまざまな発言をおっしゃっておられます。何をもって自虐的とするかどうかはまさに判断の分かれるところで、政治的な争点の一つではないかと思いますし、愛国心という問題も同様の問題であるというふうに考えます。
 こういう発言を聞いて、文科省トップは中立的な人ですねとはみんなはなかなか思わないでしょうし、その文科省が、地方にだけ中立的、安定的、継続性を求めるということを理由に自治体のチャレンジを阻止するというのは少し理解できない。

朝日わくわくネット−いま学校で」から。

教育委員会の「専門職員」といわれている人たちは、10年程度を教育委員会で過ごし、学校へ「学校長」という形で転出し「委員会人生」を終えるのが普通だ。「学校長」という肩書きで「天下り」をして行く人を何らの審査や、競争も無くただ時間を過ごすだけエスカレーター式で輩出する「教育委員会」という「組織」は、ほんとうに必要なのか。再考を要する時期にあることは確かだろう。再考を要する時期にあることは確かだろう。現場からの教育改革が叫ばれて久しい。古人曰く「新しい酒は、新しい革袋に入れよ」と。民間の知恵を活用した抜本的な制度改革が必要であろう。
大阪市内の高校教師