from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

国家論

斉藤貴男著「安心のファシズム」から。

一定の社会秩序を定めて人々に守らせるためには、権力の存在は否定できない。だが、権力による支配を無条件に認めてしまえば、そこに圧政だけが残る。近代以降の世界では、そこで通常、次のような考え方が採られてきた。<そうであれば、「権力」にはすべての人に人間らしい生活を保障すべき義務があるのだ、ということを明確にし、さらには、「力」の発動が許される場合と条件をあらかじめきちんと定め、それらを遵守することを条件に特定の人々に「権力」行使を担当させる、という「権力」への縛りが、また、不可欠である。いわば、「権力」を、権力のない「ふつうの人々」(=人民)の利益にために仕えさせる「縛り」である。(中略)
憲法は、まさにこうした「権力」への「縛り」のためにある。>(浦部法穂『全訂 憲法学教室』日本評論社、二〇〇〇年)

この憲法が「ふつうの人々」への「縛り」に使われようとしている。