from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

ラブラドールがうずくまっていた

気温が平年並みに戻った。実際には何度になったのかは分からないけど、最高気温12℃って感じ。

朝、上海から電話があった。昨日の夜、10時頃に電話をしたが、妻はまだ帰っていなかった。残業しているかと思っていたが、知人と会っていたようだ。

午後、公園に行って、ベンチに座り、本を読んだ。風が吹かないとじっとしていても寒くはなかった。風が吹き出し寒くなってきたので公園の外周を歩いていくと、女性二人がバトミントンをしている側で、ラブラドールがうずくまっていた。主人に命令され、じっとしているようであった。厭そうな顔をしている訳じゃなかったけど、もっと楽にしていいよって声をかけたくなるような顔していた。

さるメールに宇沢弘文さんという人がちょこっと紹介されていた。調べてみると、「社会的共通資本」という言葉を作った人のようだ。
「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たすものである。
社会的共通資本は、たとえ私有ないしは私的管理が認められているような希少資源から構成されていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。
社会的共通資本はこのように、純粋な意味における私的な資本ないしは希少資源と対置されるが、その具体的な構成は先験的あるいは論理的基準にしたがって決められるものではなく、あくまでも、それぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的、技術的諸要因に依存して、政治的なプロセスを経て決められるものである。
社会的共通資本はいいかえれば、分権的市場経済制度が円滑に機能し、実質的所得分配が安定的となるような制度的諸条件であるといってもよい。それは、アメリカの生んだ偉大な経済学老ソースティン・ヴェブレソが唱えた制度主義の考え方を具体的な形に表現したものである。ヴェブレンの制度主義の思想的根拠は、これもまたアメリカの生んだ偉大な哲学者ジョン・デューイリベラリズムの思想にある。したがって、社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。
社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。自然環境は、大気、水、森林、河川、湖沼、海洋、沿岸湿地帯、土壌などである。社会的インフラストラクチャーは、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど、ふつう社会資本とよばれているものである。
なお、社会資本というとき、その土木工学的側面が強調されすぎるので、ここではあえて、社会的インフラストラクチャーということにしたい。制度資本は、教育、医療、金融、司法、行政などの制度をひろい意味での資本と考えようとするものである。」
政府や地方自治体がやるべきことは、この社会的共通資本をしっかり作ることのようだ。

社会的共通資本 (岩波新書)

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