5時過ぎに目が醒め、トイレ。
6時に目覚まし音で起きたが、布団にとどまって、6時10分に起床。
カレーを温め、朝ごはん。血圧を測ると、「138-80」と高め。昨日も高かった。
7時前に息子を起こしたが、「う~」と返事しただけで起き上がらなかった。
外に出ると、昨日より気温が高かった。
電車に乗って、「半眼訥々」。1998年6月15日「<知る>ということ」
心の問題は、何がしかの個人の行動原理に従って子供を殺してしまうような一人の人間について、常識的な日常の中にいるこのわたしくが、何かを理解出来ると錯覚したことである。現実に何ひとつ理解していなかったことは、最近になって少しずつ明らかになってきた事実が証明しているが、何よりもこの頭一つを巡らせて他人の心の中を憶測しようとした行為そのものが、過ちだった。
それはすなわち、人間について<知る>ための基本的な方法論の過ちであり、物事を<知る>ことの限界を忘れるという過ちであるが、そうした過ちはまさに言葉や真実への不実につながっているという意味で、物書きとしては、大いに恥ずかしいことである。
ところでくだんの少年の場合、本人と直接に接した捜査員や弁護士や精神鑑定医だけが、かろうじて彼を<知る>ための手段を手にしていたことになるが、そうした人たちにしても少年の経験を自分も同じように経験したのではない以上、少年の中で起こったことを十全に理解出来たとは言えないはずだ。言い換えれば、人を殺したことのない人間には、殺人という行為を百パーセント理解することは不可能だということである。
駅を出て、ラジオを聴きながら、会社へ。
ちょっと汗をかいて、会社に到着。
ビスケットを食べ、コーヒー。
午前中は忙しく時間が過ぎた。
昼休みになり、弁当の配達が30分遅れると言うので、キャンセルし、スーパーに弁当を買いに出た。それほど暑くはなかった。買ってきた弁当を食べ終わった後に弁当が配達されてきた。
昼休みに昼寝をしなかったので、午後は眠くなった。なんとかやり過ごして、5時45分過ぎに会社を出た。息子に電話をすると、体育祭が終わりうちにいたようで、これからラーメンを食べに行って、塾に行くと。
7時前に帰宅。ほうれん草のソテーを作り、買ってきた茹でダコ、きゅうり、サラダを出して、夕飯。
息子は10時前に帰ってきた。「どうだった?」「まあまあ」「体育祭は勝つか負けるだろう?」「男子は勝ったが、女子が負けた」「全体は?」「負けた」。