from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

小豆島をレンタカーで観光した

7時前に起床。窓を見ると海と空の境目に見える陸の上がオレンジ色に染まっていた。見ていると、真正面で陽が上がってきたので、妻を起こした。

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息子を起こすがなかなか起きず。8時半前にやっと起き、2階の食事処に降りた。ちょうどよい量の朝ごはんだった。

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食事の後、ラウンジでコーヒーを飲んでから部屋に戻ると、息子はまた寝転んだ。部屋を出ることができたのは9時15分過ぎ。フロントに行って、チェックアウト。素麺、菓子、絵葉書、石鹸が入ったお土産セットをもらった。すぐにレンタカーの手続きをし、車の鍵を受け取って外に出ると、ちょっと古いホンダのフィットがあった。

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とりあえず、小豆島オリーブ園に向かうことにした。10時前にオリーブ園に到着。オリーブショップに入って商品をちょっと見て、オリーブ園内を散歩。天気が良く、気持ちが良かった。イサム・ノグチの作品が置いてあるギャラリーに入った。割と気持ちが良い空間だったが、ドアが木製で閉まっているのでオープンしているように見えないから、誰も入っていなかった。その後、オリーブの原木を見て、風車が見えたので行ってみた。

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ギリシャ風車の前で箒にまたがって写真を撮っている人たちがいて、妻が尋ねると、風車を背景にして、キキのように箒にまたがって飛んでいるように見える写真を撮っている、箒はオリーブ記念館で貸してくれると。撮影していた人がもう終わったので、箒を貸してくれた。息子にやらせてみたが、なかなか飛んでるように撮れなかった。

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なんとかそれらしく撮影して、箒を返すためにオリーブ記念館に向かった。オリーブ記念館に着いて、箒の貸出コーナーに行って、オリーブに関する展示を見学。

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小豆島におけるオリーブ栽培の歴史のビデオも観た。

日本のオリーブ・歴史 - オリーヴの森

オリーブの栽培が本格化したのは1908年(明治41年)のことです。日露戦争に勝利した日本政府は、北方漁場の海産物を保存する方法として、オリーブオイルを使用したオイル漬けに着目しました。
国内でオリーブオイルを生産するために、当時の農商務省アメリカ産オリーブの試験栽培を開始。栽培地として指定したのは香川・三重・鹿児島の3県です。その中で、香川県の小豆島のみが栽培に成功し、1911年(明治44年)には74㎏の実を収穫することができました。小豆島の気候が地中海沿岸とよく似ていたこともありますが、技師たちのたゆまぬ努力が実を結んだのです。3年後にはオリーブ栽培が島全体に普及し、現在に続く経済栽培の礎が築かれました。
しかし栽培においては様々な苦労があり、台風による倒木や日本固有の害虫であるオリーブアナアキゾウムシの被害に悩ませられるなど、問題は多々ありました。加工技術も情報源が海外にしかなく、自分たちで模索しなければならないことも多かったようです。
こうした苦労を乗り越えながら、徐々にオリーブの生産量を増加させて、オリーブは小豆島の名産品として広く知られるようになりました。

 オリーブ記念館の売店で、オリーブ関連のお土産を買った後、オリーブ園のレストランで昼食をとった。パスタとそうめんとカレー。

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オリーブ園を後にして、寒霞渓に向かった。途中に奇妙な形の岩の下に祠が見えたので、車を止めた。小豆島八十八ヶ所霊場の第二十番札所「佛ヶ滝」というところだった。階段を上がっていくと、洞窟があり、その中が寺のお堂になっていた。中に入るとおばさんがいた。洞窟の真ん中に石の柱があり、この洞窟は自然のものですかと聞くと、手掘りだと言う。戦時中は防空壕として使われたらしい。妻がこれから寒霞渓に行くとおばさんに伝えると、すぐ先にロープウェイ乗り場があると言われ、ロープウェイには乗らないと言っていた妻がロープウェイに乗ろうと。

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ロープウェイ乗り場の駐車場に車を停め、ロープウェイ乗り場に行った。往復で一人1760円もした。山頂駅に着いて、外に出ると、すぐに駐車場が見えた。車で来るんだったと後悔した。

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景色を眺めて、10分近くいただけで、ロープウェイで降りた。次は「醤の郷」に行くことにした。先に森園酒造に寄ってから、マルキン醤油記念館に行くはずが、通り過ぎてしまった。

マルキン醤油記念館に着いて、記念館を見学した後、醤油せんべいと醤油ソフトクリームを食べ、近くの苗羽散策路を散歩。

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マルキン醤油記念館の駐車場に戻って、中山千枚田を見に行くことにした。途中で道を間違えたが、なんとか到着。稲刈りが終わった田んぼしかなかったので、それほど綺麗ではなかった。息子は車から降りなかった。

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次は夕陽ヶ丘に向かった。雲が出てきて、夕陽ヶ丘の展望台に着いたときはしっかり曇っていた。晴れていても夕陽が見える時刻ではなかったので、それなりの景色だった。

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それからホテル近くに戻り、セルフのガソリンスタンドに行って、満タンにした。支払ったガソリン代は600円ほどだった。

3時半過ぎにホテルに戻った。6時間で5千6百円ほどだった。送迎バスで高速艇乗り場まで送ってもらった。船の出航5分前だった。

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4時半頃に高松に到着。讃岐うどんを食べに行こうと、調べた店に向かったが、電話をしても出なかったので、駅ビルにあった手打ちうどんのチェーン店に入った。息子は天麩羅付き釜揚げうどん、妻は天ざるうどん、私はカレーうどんを食べた。

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5時40分発のマリンライナーに乗り、岡山駅へ。瀬戸大橋通過時は真っ暗でほとんど景色が見えなかった。ちょっと電車が遅れて、8時40分頃に岡山駅に到着。

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10分余待って、東京行きの新幹線に乗ると、グリーン車だった。おしぼりとごみ収集のサービスがあった。

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帰宅したのは11時頃。シャワーを浴び、寝たのは12時前だった。