from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

「最後の晩餐」を観に行った

4時半に目が覚めるともう寝られなかった。

7時に隣の部屋に行って、息子に起きるように声をかけ、7時半にホテルを出ると告げた。7時半に声をかけると、歯磨きしてるなどと。

7時40分頃に部屋を出て、フロントに行って、チェックアウトし、荷物を預け、ホテルに一番近い地下鉄の駅に行った。券売機で片道切符を買い、M2路線でCADORNA駅へ。この路線のミラノ中央駅はホームを工事中で通過した。CADORNA駅で改札を出ると、妻は切符を差し込んでも出れなかった。駅員に妻が声をかけると、切符の刻印時刻をチェックした後、出してくれた。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院を目指して歩いて行くと、カフェの前で、妻はトイレに行きたいと言い、別れた。そこから5分弱で、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院に着いた。チケットオフィスに行って、予約番号をプリントした紙を見せると、パソコンで確認して、チケットをくれた。

カフェに戻ると、妻がカードを持って、コーヒーを注文していた。トイレは?と聞くと、持っていたカードがないと入れないと。食べるものはクロワッサンしかなかった。

最後の晩餐を観るまで、1時間半あったので、散歩することにした。地下鉄の駅に戻って、近くにセンピオーネ公園があることがわかり、行ってみることにした。もう暑くなってきていたが、木陰は涼しかった。しばらく歩いて行くと、凱旋門のような門が見えてきた。凱旋門に似せて作った平和の門だった。地下鉄の駅に戻る途中に、トリエンナーレ美術館があったが開館前で中には入れなかった。

地下鉄の駅に行くと、果物を食べたいと妻が言い、スイーツの店で、果物とアイスキャンデーを食べた。

10時頃にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院に到着。入り口に入ると、ロビーに入場を待っている人たちがいた。10時10分になるとガラスの扉が開き、チケットのチェックを受け、狭い部屋に入った。そこでしばらく待つと、次の扉が開き、また狭い部屋に入った。そしてようやく扉が開いて、最後の晩餐がある元食堂に入れた。

f:id:samso:20170818090548j:plain

f:id:samso:20170818091158j:plain

f:id:samso:20170818093015j:plain

f:id:samso:20170818092047j:plain

f:id:samso:20170818091930j:plain

15分間だけの鑑賞時間。出口の扉を出ると、また部屋に閉じ込められた。それから、ショップの扉が開き、ショップにしばらくいて、ようやく外に出られた。

近くのタクシー乗り場にタクシーがいたので、タクシーに乗って、ホテルに戻り、預けた荷物を受け取り、駅に向かった。念のため、イタローのオフィスに行って、ミラノ中央駅から乗車できることを確認し、駅の中のサンドイッチ屋で、サンドイッチとコーヒーでお昼。息子は全部食べたが、妻と私は量が多過ぎて、食べきれなかった。

f:id:samso:20170818110009j:plain

ホーム近くに行って、ホーム番号の表示されるのを待った。発車時刻の20分頃にホーム番号が表示され、すでに入線していた電車に乗り込んだ。電車はほぼ定刻の12時35分に発車した。

うとうとしていると、車掌が検札に来た。

それからまた寝ていると、起こされた。奥の席の座席の女性だった。他の席でもいいと座りに行ったが、他の乗客が乗り込んできたので、戻ってきた。妻がはなしかけると、中国の各地を旅したことがあると言って、話が盛り上がった。出版関連の仕事やエッセイを書く仕事をしていて、世界各地に行ったことがあると。しばらく話し込んで、パッドで書きたいことがあると言って、空いた席に行った。

電車はほぼ定刻に、ローマ・テルミニ駅に到着した。ホテルは駅の近くだったので、歩いてホテルに向かった。

ホテルでチェックインし、5階の部屋へ。広い部屋で、息子はベッドに横になって、iPhone

7時半過ぎに夕飯を食べに外に出た。ネットで調べ、評判のよいレストランにした。

レストランに着いて、席につくと、日本で話しかけてきた。料理は普通で、評判ほどでもなかった。

f:id:samso:20170818182223j:plain

f:id:samso:20170818183450j:plain

f:id:samso:20170818183454j:plain

f:id:samso:20170818183446j:plain

ホテルに戻って、お風呂に入って、11時頃に寝た。