from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

映画「杉原千畝」を観た

7時半時頃に起床。今朝も天気が良かった。

8時頃からおせちで朝ごはん。

妻は知り合いに会うと言って、出て行った。

9時半前に息子を起こしに行った。やっと起きて来た息子はお雑煮を食べた。食べ終わると、テレビでお笑い番組。

動くように促すと、お昼近くになって、サッカーボールを持って、出て行った。30分ほど帰ってきた。

1時過ぎに妻が帰ってきて、モスバーガーを買ってきた。息子はちょっと噛じっただけ。

二人に映画「杉原千畝」を観に行こうと誘うが、息子が「 007 スペクター」と。結局ふ二人は行かないと言い出して、一人でうちを出た。

f:id:samso:20160102145905j:plain

2時15分頃に吉祥寺駅前の映画館に到着。

f:id:samso:20160102152424j:plain

劇場に入ると、3分の1ぐらいしか席が埋まっていなかった。

以前『少年H』に、少年Hの父親が日本にやって来たユダヤ人のボロボロの洋服を仕立て直すシーンが出てきて、何でユダヤ人が日本にやって来たのか気になっていた。
ポーランドナチスに迫害を受けていたユダヤ人がソ連治下にあったリトアニアに逃げてきていたが、リトアニアでも極右系のナショナリストたちがユダヤ人に迫害を加えていた。そのユダヤ人たちは、ソ連経由で極東に逃げることしかできないため、リトアニアのカウナスの日本領事館に押し寄せた。その領事だった杉原千畝が外務省の指示を無視して、自己責任で日本通過ビザをその人たちに発給。ウラジオストックの日本領事には、ハルビン学院で千畝の二期後輩であった根井三郎がいて、日本への渡航を許可し、そのお陰で、日本にユダヤ人たちがやって来たのだとわかった。
この映画では、千畝と知り合いになり、最初にユダヤ人たちを助けてくれと頼んだユダヤ人のガノールさんは死んでしまうが、実際には生き延び、終戦時にナチスの収容所にやってきた米軍兵士の日系二世に救出されたようだ。
外務省は、戦後も杉原千畝の功績を認めず、2000年にようやく名誉を回復したらしい。

6時15分頃に帰宅すると、二人はいなかった。しばらくして、息子が買い物袋を持って帰ってきた。妻は別のスーパーに行ったようで、それから30分ほどして妻が帰ってきた。

夕飯にブリ大根を作ってと言われたので、作ったがあまり食べなかった。息子は妻が作った青椒肉絲だけを食べていた。

息子は夕飯後もお笑い番組。

11時過ぎからお風呂に入り、二人が寝たのは12時過ぎだった。