from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

タルコフスキー「ストーカー」を観た

samso2014-03-01

7時に起床。外は小雨が降っていた。
一人で朝ごはん。
8時過ぎに息子を起こした。
息子はノソノソと起きてきて、朝ごはんを食べた。
9時半過ぎに、息子は塾に行った。
12時過ぎに一人で昼ごはん。
1時前に息子が帰ってきた。
息子に昼ごはんを食べると外に行った。
ちょっと昼寝をして、買い物に出た。まだ小雨が降っていた。
買い物から戻ってきて、会社のパソコンで仕事。
6時前に仕事を終え、一人で夕飯。
息子に一人で夕飯を食べるように言って、うちを出た。
ラジオデイズ・スペシャル・トークイベント『町山智浩 の?映画Q&A?』が武蔵野公会堂であり、聴きにいった。満席だった。
「バーンアフターリーディング」、「ザ・マスター」、タルコフスキー「ストーカー」の3つの映画について質問を聞き、町山さんの解釈を聴くというイベントだった。この3つの映画を全て観たという人が数多くいた。私はどの映画も見ていないというのに。
「バーンアフターリーディング」はCIA批判の映画ではない、神の目で見た人間の愚かさを描いた映画。コーエン兄弟の映画作りの原点は、ユダヤ教の不条理。この映画は、「オズの魔法使い」だと思ってみればいいと。
「ザ・マスター」は、他の映画と同様にPTA自身の父と子の葛藤がテーマ。主人公の名前「Freddie Quell」にヒントが。
タルコフスキー「ストーカー」は、ロシア正教老子と水。主人公のストーカーはユロージヴイ(ロシア独自の聖人のカテゴリーで、日本語では「佯狂者」「瘋癲行者」「聖なる愚者」)。自分自身は欲望を持たず、他者を救うことを自分の幸福とする佯狂者がストーカー。
10時前にトークイベントが終わり、帰宅。息子はまだ起きていて、テレビを見ていたが、すぐにシャワーを浴び、寝に行った。
「ストーカー」は、ニコ動で観ることができた。はやり解釈を聞いてから観るとわかりやすいが、いきなり見た場合は難解な映画だと思う。ゾーンは、チェルノブイリ原発を暗示しているという説もあるようだが、そんな気もする。一般市民から隔離され、誰もいない綺麗な場所でありながら、汚染されている。
「希望はかなうものだ。信じて欲しい。情熱など頼りにならぬ。彼らのいわゆる情熱は心の活力でない。魂と下界のあつれきなのだ。大切なのは自分を信じること。幼子のように無力であること。無力こそ偉大であって、力は空しい。人が生まれるときは軟弱で、死ぬときに枯れ彼固まる。木も生長する時に柔らかく、乾き固くなるのは死ぬ時なのだ。硬直と力は死と隣り合っている。弾力と軟弱さこそが、若さの象徴だ。凝結したものに希望はない」というストーカーの独白は、老子の影響を受けたもの。