from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

少子化対策

「考える人」HTMLメールマガジン「ガラガラとぎっしり」から。

「『少なく産んで、大事に育てよう』は、戦後日本の標語だった」──なだいなださんは冒頭で、私たちが忘れつつある歴史的な事実についておさえながら、60年代の日本についてこんなことを書いています。
「一九六〇年代、日本は世界で出産コントロールを成功させた唯一の国であり、人口問題で苦しむ世界の国々に、胸を張って助言を与える立場にあった。一九六〇年代、ヨーロッパに留学したとき、この若造の東洋人の医者に、これに関する質問をするひとも多く、誇らしげに説明したことを覚えている。
 ぼくの友人たちは、子供一人と二人の家庭が大半を占め、ぼくのように四人もいるというのは稀で、気がひけたものである」(「少子化対策」ちくま7月号より)
今年78歳のなだいなださんは、同じ文章のなかで人口減少による年金の運営の問題、老人介護の問題についても当然触れています。しかしその解決方法が行政による「人口増加」の旗振りとなってしまっていることについて、はっきりと疑問を呈しているのです。「人口減少で起こる複雑な問題を解決するのでなく、人口をまた増やせばいい、という安易な解決法に向かった」。なだいなださんの論はここから地球環境問題へと入ってゆきます。
「地球的規模で見れば、人類にとって、今は人口を増加させるべき時代ではない。その反対に、いかにして人口増加を抑制するかを、考えねばならない時代だ。環境問題を解決するには、CO2の排出削減だけを考えていればいいわけではない。バイオ燃料の導入で解決できる問題ではない。それなのに、世界の首脳が集まって、CO2については議論するが、人口の抑制策は話題にもならない。不思議の限りだ」──なだいなださんの文章は、このあたりから怒りのトーンをおびてくる。もう少し引用させてください。
「今、日本のその経験が生かされるべき時代であるのに、少子化対策、結婚したら子どもは二人などという寝言をいっているとはなにごとだ。
 野党が政府の少子化対策を批判するときも、そんなことでは、若い世代の女性は、子どもをもっと産もうとは考えない、という主旨からの、批判がほとんどである。そこに、ぼくは政治家の頭の中の国家主義を見る。政治家たちは、人口が減ることは、国力が衰えることであるという固定観念にとらわれている」