from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

嫌中感は収まらない

nikkeibp.jpに、『中国調査業界裏情報「中国人は反日デモをどう見るか」』という記事が掲載されている。

一般的に不満の表現方法として「インターネットに書き込む」「デモを起こす」といった手段が考えられます。このうち、インターネットで中国政府に反対する書き込みをした場合は、書き込みが削除された上、書き込みの記録を追跡されて投稿者が取り調べを受けることになります。インターネットのチェックは中国ではしばしば行われており、例えば反日デモをレポートした日本人ブログがアクセスできない状態になったりしています。
デモについては、情報が察知された時点で取り締まりを受けます。大都市の周辺には武装警察や人民解放軍が駐留しており、各部隊が常時無線で連絡を取り合っているので、不測の事態が起こっても素早く処理できるとの見方が一般的です。これは安全性の面で見れば良いことですが、中国において政府や社会を批判することは難しいということにもなります。
そういう現状にあって、「反日」は政府の干渉を受けずに表現できる、数少ないキーワードです。それゆえ“愛国”と言えば、すべてが許されるという認識が当事者にあったとも考えられます。だからこそ、反日デモでは「愛国」のプラカードを持ち、笑いながら日本大使館に投石するという行為が行われたと見ることができます。「日本が憎い」というより、「反日」を通じて、フラストレーションを表現するというのが事実だったのではないでしょうか。

中国では抗日戦争(日本では“日中戦争”と言いますが、中国では“抗日戦争”と呼ぶのが一般的です)関連の記念日になると、新聞やテレビで「日本軍の罪業」をクローズアップするような記事や番組を大々的に報じます。こうした報道に昨今の反日デモを重ね合わせ、「中国人の反日感情は根が深い」と考える日本人は多いようです。しかし私は、中国人の反日感情を根の深いものと考えていません。
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むしろ問題なのは、(1)日本人が「中国人の反日感情は根が深い」と思い込んでいること、(2)日本の報道がそのような方向性を好んでいること、(3)そういった報道により、中国に恐怖や反感を抱いてしまう日本人がいること──にあると思っています。

というようなことが書かれてある。これに対するコメントも掲載されているが、ほとんどが批判的なもの。「今のマスコミ報道が一方的に間違っていると考えるのも危険だ」とか、「根拠の無い安全宣言のごとき文章は、無責任のそしりを免れませんよ」とか、「視点が中国市民の感覚に立ちすぎているように思います」など。
中国ではフラストレーションの解消で終わったが、日本では中国に対する嫌悪感を増大させる結果を残した。
船橋洋一の世界ブリーフィング」から。

21世紀に入ってから、日本は「自分探し」(identity)に夢中になってしまいました。首相の靖国神社参拝にしても「それは日本が決めること。他国がとやかく言うことではない」の一国主義的発想と修辞で押し切ってきました。それが、近隣諸国の人々の気持ちにどのような影響を与えるか、それに配慮する心のゆとりと歴史感覚と自信を失ってしまいました。
歴史に直面し、そこから謙虚に学ぶのは、針路を間違えないための羅針盤を持っておくためにするのです。中国に言われたからするのではなく、自分のためにするのです。
当面、反日デモも日貨排斥もチャイナ・リスクと割り切る以外ありません。それをヘッジしながら中国の活力を吸い取る、たくましい対中戦略を日本は持つべきです。日本に必要なのは「毅然」ではない。「たくましさ」です。
日本は対中、対韓、対アジア、対米、対国連、文化外交、留学生政策など、対外戦略を総点検する時です。ここでは歴史克服に向けての戦略的決断をしなければなりません。その上で、中国にもこの面での戦略的決断を迫るべきなのです。日本は過去を克服するための公共政策を確立する。中国は反日を統治に利用しない。

こういった意見に耳を貸す人は少なくなったようだ。