from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

負け犬

先日、知人と話をしていたら、「負け犬の遠吠え」って本、面白いよって言われ、そうなのと答え、その本のことはすっかり忘れていた。今朝届いた「nikkeibp.jp Mail 朝刊に、「負け犬-人生の勝ち・負け」アンケート募集とあって、この本のことが書いてあって思い出した。そのアンケートは、こちら。タイトルの割にはどうってことのないアンケートだけど、【「負け犬」のイメージ】で「楽しい」とか「自立している」とかっていう選択肢があるところをみると、「負け犬」って言葉に対して肯定的なイメージをいだく人がいるのかどうか調査したいってことかな。それでどうしたいっていうんだろう。
PRESIDENT ONLINEに編集部員aiaiさんと人のエッセイがあって、『気がつけば「負け犬」』と「結婚しない理由を言いなさい」を読んでみた。

女性、30代、プロフェッショナル、未婚、というのは「多重マイノリティ=逸脱者=異端者」である。
・・・・・
マイノリティとは、結局、面倒くさい説明をたくさんしなくてはならない人たちのことだ。でもその立場は、流動的であり、相対的なものである。文化によっても変わるし、時代によっても変わる。

納得。

マイノリティに属する人間は、いろいろ説明を要求されて面倒くさい、ということを書いたが、「私って負け犬ですから」と言えばその面倒くささから解放される。

プロフェッショナルな人はそうだろうけどね。

「勝ち組」「負け組」「負け犬」なんて言葉が流行るってことは、価値観が固定されてきていて、人生に対する理想的な共通認識のようなものがあって、人生色々とは考えないで、それから外れると惨めな人生を歩んでいると思う人が増えているということなのかな。
Mammo.tv>>今週のインタビュー」で、名越康文さんが

自分の中のストレスを見えないようにしている同調圧力的なものがあります。「みんなと一緒にやっておいたほうが安全で、突出したことをやるのは危険」という圧力は、実は前世代が無意識的に持っていたものです。無意識的に持っていたものこそを僕らは引き継ぐわけです。前世代の人が基本的に持っていた「同調性の中で生きていくのが安全である」ことのリスクの面が精神的な病に出ていると思います。

と。こういうことと関係があるのかも。日本人は平均値的な人生(幻想なんだけど)を歩んでいると安心できる。そこから外れると人にとやかく言われがちで、それがストレスになる。