from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

時評エッセイ「詭弁はもうたくさん/山田正行」に、

小泉首相は16日午前の衆院予算委員会中韓両国の首相の靖国神社参拝反対について「他国が干渉すべきではない。戦没者に心からの追悼の誠を捧げることがなぜいけないのか、理解できない」、「いつ行くかは適切に判断する」と発言した。反日デモの続発の時よりも踏み込んだ表現で参拝継続への意欲を示したと言える。彼はまた、A級戦犯合祀と靖国参拝の関係についても「『罪を憎んで人を憎まず』というのは(中国の)孔子の言葉だ」と説明した。だから儒教の伝統の強い中韓靖国参拝を理解すべきだという論法である。確かに、これは孔子の九世の孫孔鮒の編集による『孔叢子−刑論』にある。また、『論語』「公冶長」篇では「子日わく、伯夷・叔斉は、旧悪を念わず。怨、是を用て希なり」と記されている。しかし、これは一般に被害者が加害者に対して、或いは、第三者が被害者や加害者に対して諭すという文脈で理解されてきており、加害者、あるいはその子孫が言えば、「盗人猛々しい」となる。

とあった。尼崎JR脱線転覆事故でもそうだけど、被害者で「罪を憎んで人を憎まず」なんていう人はいないに等しい。

朝のNHKラジオのニュースで、

公明党冬柴幹事長は5月26日「信念に基づいているかどうかではなく、被害を受けた国に配慮すべきだ」と述べ、小泉総理大臣は参拝をとりやめるべきだという考えを改めて示しました。これに加えて、政府・与党内では中国の温家宝首相を招待したいとしている今年9月の「愛・地球博」の閉会式までは、参拝をひかえるべきだという意見もあり、小泉総理大臣は靖国神社参拝をめぐって難しい判断を迫られています。

なんで「難しい判断」なんだろう。中国との関係を悪化させたいなら参拝し、悪化させたくないなら参拝しないとまことに簡単な判断で済むんだけど。