from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

nikkeibp.jpの「fromガ島通信 メディア崩壊の現場を歩く」の「事件・事故報道で今一度考えたいメディアの責任と体質(下)」から。

デスクは、競合する新聞社よりも、派手な写真、泣ける記事、目を引く見出しを求めます。公平・公正な報道、品位など関係ありません。「抜かれなければいい」のです。現場記者には、何でもいいから新しいことを見つけて書くように求め、ニュースは拡大し、拡散していきます。
「どうしてこんなことまで書く必要があるのか?」、「なんか本論とずれてきているぞ?」と思う記事はこうして生まれます。そして、ある日、ぱたりとニュースが扱われなくなります。他の社が扱わなくなれば、潮が引くように「撤収」。ニュースは消費され、終わっていくのです。

これじゃ、低俗なスポーツ新聞や週刊紙とまったく同じ。新聞が読まれなくなってきていることの弊害なのかなあ。過激な記事を書けば、スポーツ新聞や週刊紙がよく売れ、テレビのワイドショーで過激なことをやっていると視聴率を稼げるという現実がある限り、全国紙といわれる新聞も同じような体質になっていくことか。その体質は、事故を起こしたJRと同質。それに気がついていても新聞社を辞めないと言えないというわけだ。でもまあ、よく言わせてもらえたなあ。偉い。