from上海to東京

子育ての日々の断片を書き綴る

nikkeibp.jpの「JR西日本、ブレーキなき組織の暴走体質」に、

巨額債務を負った割に、JR西日本の収益源は、ぱっとしなかった。強いて挙げれば山陽新幹線と大阪周辺の鉄道網だが、その山陽新幹線の輸送量は、東海道新幹線の半分にすぎない。目につくのは、路線の半分を占める赤字ローカル線と、膨れ上がった5万人もの職員だった。
「ハンディキャップを抱えながらも、他の2社に引き離されたくなかったんでしょう。本来ならば、国鉄時代末期には東京地区の路線と新幹線を除けば投資不足で、鉄道施設が老朽化した。まず設備を更新して、時代に対応できる安全の基盤を作るべきだった。だが、JR西日本は巨額の投資をインフラ整備に充てなかった。カネが調達できなかったわけじゃないが、胆力がなかった」(証券アナリスト
JR西日本は全く逆の策に打って出た。ローカル線をフル活用して、増収を図る。その方法が、大阪環状線東海道本線といった基幹路線との接続パイプを太く滑らかにすることだった。ローカル線の乗客を大阪の中心部まで一気に運び込む鉄道網にする。あとは高速化と増便を進めていけば、乗客は私鉄から流れてくると読んだ。お荷物のローカル線を、さして投資をせずに高収益路線に転換させるわけだ。

と。安易な民営化でそうなることは予想できたにもかかわらず、JRに巨額債務を追わせたまま、民営化させてしまったのは誰。中曽根内閣の民営化路線を許した我々のはず。
ブログ「明日につなぎたい」には、

中曽根自民党内閣が、日本産業の動脈である国鉄の、分割・民営化法案を提出したのは1986年秋の臨時国会であった。国鉄は莫大な赤字だ。原因は全国一本の経営形態だ。これを解体して民間企業にするしかない。法案の「論拠」はこういうことであった。これが、自民、公明、民社(当時)の賛成で成立させられた。新会社JRが発足したのは翌87年4月1日であった。
 このとき、メディアはどうだったのだろう。新聞各社の社説を見た。「国鉄改革の主眼は・・民間の効率的経営を導入することに・・」(朝日87・3・2)。「国鉄改革に良い労使関係を」(毎日2・16)。「今回の改革は、事実上、破産状態に陥った国鉄再建の唯一の方策」(読売3・31)。「JRの出発は、これまでの『公共性』に偏っていた比重を『企業性』へ・・」(日経4・1)。そこには批判はない。分割・民営化を「改革」だと評価する論調で共通している。そして「合理化に努め・・コスト意識を」(読売)。「競争原理導入・・コスト意識の徹底」(日経)を強調するのである。

とある。「Passion For The Future」によれば、「日本経済新聞は信用できるか」という本に「始める時には賞賛していながら、政策が失敗に終わると掌を返したように批判にまわる」というようなことが書いてあるようだ。
JR西日本、ブレーキなき組織の暴走体質」の最後に、

関係者は、荒療治を促す。
「創業的な出直しをしないとダメ。過密ダイヤの是正だって、国鉄時代に戻すくらいの大胆な決断が必要ではないか。すべて間違っていたと認めるくらいでないと、誰も変化したと信じてくれない」

と。「不便になってしかも運賃が値上がりしても安全第一だね」とJR西日本を支えてくれる国民が今はいるってことだ。